西郷どんの足跡、寺山開墾地の記念碑。

西郷どんの寺山開墾地跡。

 

 

 

来年(平成30年)のNHK大河ドラマは
西郷隆盛の生涯を描いた
西郷どん」に決定しました。

 

そこで、鹿児島での
西郷どんの足跡を探すことにしました。

 

ここでは
明治6年に鹿児島に戻ってからの
活動の中心になった開墾地を訪ねます。

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寺山ふれあい公園を利用します。

 

開墾地跡は、
寺山自然遊歩道の途中にあります。
遊歩道の入口から歩いて5分程です。

 

 

開墾地跡は寺山自然遊歩道の途中です。

 

 

寺山自然遊歩道は、
関係車両以外は通行できません。
そのために車は寺山ふれあい公園に停めます。

 

寺山ふれあい公園は、
吉野台地の高台にある公園で、
寺山自然遊歩道の入口にあります。

 

 

寺山ふれあい公園の駐車場に停めました。

 

 

遊歩道入口からすぐです。

 

遊歩道の入口に案内地図があります。
地図で確かめて進みましょう。

 

 

案内地図で確認しましょうね。

 

 

遊歩道は森に囲まれた道です。
こぼれ日がさして、
気持ちの良い道を歩いて行きます。

 

 

こぼれ日が差す遊歩道を進みます。

 

 

すると、急に開けた場所に着きます。
ここが西郷どんの開墾地です。

 

 

すぐに開けた場所に着きます、開墾地跡です。

 

西郷南洲翁の開墾地の碑。

 

開墾地跡の中で、
一段高くなった階段の先には、
南洲翁開墾地遺跡碑」があります。

 

碑がある場所には、
寺山私学校があった所です。
ここで勉学に励んだのでしょうね。

 

 

南洲翁開墾地遺跡の碑があります。

 

 

それとこの碑の文字は、
あの東洋のネルソンと言われた、
東郷平八郎元帥の筆によるものです。

 

東郷元帥は、
西郷隆盛翁を自分の師として、
非常に尊敬していました。

 

 

東郷平八郎元帥が書きました。

東郷平八郎の像は多賀山公園にあり。

 

 

征韓論に破れました。

 

西郷どんが、
鹿児島に戻った理由は、
征韓論に破れたからです。

 

西郷どんが唱えた征韓論とは、
開国を拒否する李氏朝鮮に、
使節を送り開国を迫るものでした。

 

これに対して、
欧米視察から帰った大久保利通らの、
内政優先派と激しく対立します。

 

結果、征韓論に破れて、
鹿児島に戻ってきます。

 

この時から、盟友大久保とは、
袂(たもと)を分(わ)かつことになります。

 

 

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私学校を創設します。

 

鹿児島に戻った西郷どんは、
翌年に私学校を創設します。

 

私学校は、
鹿児島の青年達の教育機関です。

 

私学校では軍事訓練を行う一方、
荒れ地を開墾させて、
自活の精神を養おうとしました。

 

 

私学校の生徒とともに荒れ地を開墾しました。

 

 

寺山の山地を開墾しました。

 

西郷どんは、翌年の明治8年に、
この寺山の地に開墾社を作ります。

 

寺山一帯の、
およそ39ヘクタールを開墾し、
私学校の生徒達とともに畑を耕します。

 

西郷どんもみずから、
昼は開墾につとめ、
夜は勉学にはげみました。

 

開墾地を紹介する看板があります。
西郷どんのここでの開墾の、
様子が書いてあります。

 

 

西郷どんの開墾地について紹介しています。

 

 

西郷武屋敷から通いました。

 

鹿児島に戻ってからの、
西郷どんが住んだのが武屋敷です。

 

武村の吉」と呼ばれていた西郷どんは、
武村の屋敷から馬を引いて、
寺山の開墾地まで来ていました。

 

 

武屋敷から開墾地まで通いました。

西郷隆盛の武屋敷跡には井戸が残る。

 

 

また開墾のかたわらで、
大好きな狩猟や温泉に浸かり、
鹿児島県内の各地を訪ねました。

 

西南戦争が始まるまでの、
この4年間は、西郷どんにとって、
最も楽しい日々ではなかったでしょうか。

 

 

 

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開墾地で敬天愛人を実践。

 

この開墾地の跡で思ったことは、
西郷どんの偉大さです。

 

開墾する以前は、
山の中の荒れ地であったでしょう。
この荒れ地で青年達を教育したのです。

 

若者達のためになるように、
自活の道を探りながら、
身体と精神を育てていったのです。

 

そんな、人と自然と共に、
生きようとする姿勢で、
あの「敬天愛人」を実践したのです。

 

しかし、その強い思いが、
結果として西南戦争という、
悲劇を生むことになるのですが。

 

 

私学校の生徒たちは西南戦争を起こします。

私学校跡に残る西南戦争の砲弾の跡。

 

 

寺山炭窯跡が近くにあります。

 

この開墾の地からすぐの所に、
寺山炭窯の跡地があります。

 

この寺山炭窯は、
西郷どんが最も尊敬した、
薩摩の名君、島津斉彬(なりあきら)の、
指導により作られました。

 

寺山炭窯は、
明治日本の産業革命の遺産として、
世界文化遺産に登録されました。

 

開墾の地から、
340mの距離ですので、
こちらも一緒に見てきましたよ。

 

 

世界文化遺産の寺山炭窯跡はすぐですよ。

寺山炭窯跡は近代日本の始まり。

 

 

自然の中で歴史を感じます。

 

西郷どんが若者達と開墾した場所と、
世界遺産の炭窯跡は、
寺山自然遊歩道を歩いて行きます。

 

寺山自然遊歩道は、
整備はされていますが、
場所によって急な坂道もあります。

 

車いすは無理ですが、
山歩きの好きな方には、
丁度良い自然探索コースですよ。

 

あなたも自然の中で、
西郷さんの足跡をめぐってみませんか。

 

南洲翁開墾地遺跡碑
鹿児島市吉野町10857−1

 

寺山ふれあい公園
鹿児島市吉野町10877−15
電話 099−229-6985
駐車場 90台(無料)

 

鹿児島市内にある
西郷どんのゆかりの地を
色々と紹介しています。

 

西郷隆盛どんの足跡を訪ねる。

 

合わせて、
行ってみて下さいね。

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