ノーベル賞の赤崎勇先生は鹿児島県出身。
甲南高校に建てられた赤崎教授の記念碑
最近の鹿児島の話題は、
ノーベル賞の赤崎勇教授の受賞です。
赤崎勇教授は鹿児島県の、
南九州市の知覧町の出身なのです。
【訃報】
令和3年4月1日、
赤崎勇教授は名古屋の病院にて、
肺炎のため92歳でお亡くなりになりました。
入院していた病室には、
桜島と甲南高校の記念碑の写真が、
飾られていたそうです。
偉大な先輩のご冥福を祈ります。
この記事は、
赤崎勇教授の軌跡として掲載します。
どうぞご了承ください。
ノーベル物理学賞の赤崎教授。
赤崎教授は、現在は、
名城大学の終身教授です。
その生い立ちを見ると、
鹿児島市内の大竜小学校から、
旧制2中(現在の甲南高校)で学びました。
その後に鹿児島七高に進み、
そして京都大学へと進みました。
ノーベル賞の原点は鹿児島にあった。
小学校から青年期までは、
鹿児島で過ごしたのですから、
研究の原点は鹿児島にあったと思われます。
少年時代は、
野山を駆け回り、遊んでいたそうです。
そこで珍しい石を持ち帰り、
その石の結晶を、
夢中で眺めていたそうです。
鹿児島は赤崎教授の原点でした。
「ここが原点だったかも知れない」と、
赤崎先生は語ったそうです。
石を持ち帰るのは、
誰でもありそうな経験です。
でもノーベル賞に花開く芽は、
どこかが違っていたのでしょうね。
好きなことをやり通そうと決めた。
赤崎教授は、
旧制2中(現甲南高校)の、
4年生の時に終戦を迎えたそうです。
好きなことやり通す原点になった甲南高校。
その時に父親から言われたのは、
「これからは好きなことをやれるし、
行きたければどこにでも行ける」
その言葉通りに、
好きなことをやり通したそうです。
その結果が、
偉業を達成しました。
「父には感謝している」と語っています。
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青色発光ダイオードで受賞。
「20世紀中の実現は不可能」といわれた、
青色発光ダイオード(LED)です。
共同開発の天野浩さん、
中村修二さんとともに、
ノーベル物理学賞を受賞しました。
成功までは、
苦難の日々であったと想像されます。
それでも最後まであきらめずに、
信念を貫いた結果の、
ノーベル賞の受賞なのでしょうね。
LEDは今では、
あちらこちらで使われています。
照明や液晶テレビに携帯電話と、
私たちはLEDの恩恵を受けています。
まさに「世紀の発明」と言えるでしょう。
発明がもたらしたノーベル賞受賞の、
原点が鹿児島にあったことが、
私達鹿児島県民にとっては何よりの誇りです。
赤崎教授のノーベル賞受賞記念碑。
郷土の偉大な先輩を目標に。
また赤崎勇教授の出身校である、
生徒たちにとってはなおさらでしょう。
好奇心に満ちた子供たちが、
郷土の偉大な先輩を、
目標にしてほしいです。
好きなことにのめりこみ、
自分の夢を実現してほしいと、
思ったかごしまの話題でした。
実はこのブログの管理者は、
甲南高校23期の卒業生です。
受賞記念碑の動画も撮りました。
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