鹿児島市郊外の森の中にある寺山炭窯跡は近代日本の始まり。

鹿児島市郊外にある寺山炭窯跡も世界文化遺産に登録されました

 

寺山炭窯跡
世界文化遺産になった
ニュースが飛び込んできました。

 

その後の平成27年7月に
鹿児島市にある三つの施設
世界文化遺産として登録されました。

 

(現在寺山炭窯跡は台風の被害で、
立入ができません。ご了承ください。
令和2年1月現在

 

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1つのテーマで23所が登録。

 

今回は、全国にある23施設を、
一つのテーマで一括推薦する、
「シリアルノミネーション」という、
手法を取ったそうです。

 

23施設の中に「旧集成館」と、
寺山炭跡窯」「関吉の疎水溝
が入ったのです。

 

炭窯跡へは歩いて行きます。

 

寺山炭窯跡の場所は、
鹿児島市吉野町の寺山にあります。

 

炭窯跡へは、
寺山自然遊歩道を歩いていきます。

 

遊歩道入口の近くにある、
寺山ふれあい公園の、
駐車場に停めました。
遊歩道は車は通行できません

 

公園から歩いてすぐに、
遊歩道入口の、
案内板の前に出ますよ。

 

 

遊歩道の案内板で確認。

 

 

途中に「南洲翁開墾地遺跡」

 

炭窯跡まで行く途中に、
南洲翁開墾地遺跡」があります。

 

ここは、西郷隆盛が、
征韓論で破れて、
鹿児島に帰ってきた時に、

 

私学校の生徒達と、
一緒に開墾した場所なのです。

 

 

西郷さんと私学校生の開墾の碑。

 

 

東郷平八郎が書いた、
開墾の碑が建っています。

 

島津斉彬が作らせました。

 

開墾地遺跡を過ぎると、
しばらく山道が続きますが、
やがて寺山炭窯跡が見えてきます。

 

寺山炭窯跡は、
山の中に開けた平地にありました。

 

集成館事業を推進していた、
島津斉彬が作らせたことが、
案内板に書いてあります。

 

 

寺山炭窯跡の案内板。

 

 

火力の強い白炭を作りました。

 

集成館事業とは、
薩摩藩が製鉄や紡績、
造船などを試みた事業のことです。

 

製鉄のために、
反射炉をつくりました。

 

反射炉には、
火力の強い、
木炭(白炭)が必要でした。

 

寺山には白炭に適した、
シイやカシの木が多いことから、
この地に炭窯が作られたのです。

 

 

 

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寺山炭窯跡はひっそりと。

 

炭窯は、
積まれた石が回りを囲み、
中に炭焼きの空間がありました。

 

石についた「こけ」の緑と、
木々の緑が溶け込んでいました。

 

 

寺山炭窯跡です。

 

 

炭窯が長い間、
そこにひっそりとたたずんでいた。
そんな感じを受けました。

 

一躍、脚光を浴びました。

 

今までも、
国の指定遺跡でしたので、
興味のある方だけが訪れていました。

 

今回、世界遺産へ
登録されましたので、
多くの方が訪問されるでしょう。

 

 

中に炭を焼くスペース。

 

 

地元でも知られていない場所が、
一躍、脚光を浴びることが、
何だか心配になりました。

 

寺山炭窯跡から始まりました。

 

今回の世界遺産登録は、
産業革命遺産として評価されました。

 

薩摩が始めた集成館事業が、
その後の日本の製鉄や造船業の、
発展とのつながったからです。

 

ということは、この炭窯から
日本の産業革命が、
始まった
と言えます。

 

先人が誇らしく思えました。

 

この炭窯が、
近代日本の発展に、
大きな役割を果たしたのか。

 

そんなことを思いなが、
らこの炭窯を見ると、
薩摩の先人達が始めた事業を、
何だか誇らしく思えてきました。

 

 

ここから近代日本が発展しました。

 

 

寺山炭窯跡(寺山遊歩道内)
寺山ふれあい公園(遊歩道入口)
鹿児島市吉野町 10877-15

 

 

 

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