西郷どん(西郷隆盛)終焉の地で思いをはせました。

城山にある西郷隆盛終焉の地。

 

鹿児島市内の城山は、
西南戦争の激戦の舞台となった場所。

 

そのため城山には西南戦争の
足跡が残っています。

 

そんな足跡の中に
西南戦争が集結した場である
西郷隆盛終焉の地があります。

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城山で最後の決戦の日を迎えます。

 

戦争が始まると薩摩軍は、
九州各地を転戦します。

 

次第に政府軍に攻められ、
鹿児島まで追いやられます。

 

薩摩軍は、
城山に立てこもり、
最後の決戦の日を迎えます。

 

この終焉の地から、
城山を登っていくと途中に、
西郷さんの洞窟があります。

 

その洞窟で、決戦までの5日間を、
西郷さんと幹部達が過ごしました。

 

そこも城山に残る、
西南戦争の大きな足跡です。

 

 

西郷さんの洞窟が近くにあります。

西郷隆盛の洞窟

 

 

この終焉の地で亡くなりました。

 

政府軍の総攻撃が始まると、
西郷さんとその幹部たちは、
最後の突撃を行います。

 

しかし、圧倒的な、
政府軍から一斉射撃を受けて、
次々に倒れていきます。

 

西郷さん自身も、
弾を受けて動けなくなります。

 

傍らの別府晋介(べっぷしんすけ)に、
「晋(しん)どん、もうここらでよか」と言い、
介錯を頼んだと言います。

 

 

終焉の地の案内が建っています。

 

 

その場で西郷さんは、
皇居の方向に一礼をして、
その後に切腹をしました。

 

享年51歳、満49歳でした。
別府晋介も続いて切腹し、
他の幹部達も戦死しました。

 

西郷隆盛を介錯した、
別府晋介はここで生涯を閉じますが、
彼の生誕地に行ったことがあります。
【鹿児島歴史まち歩き】西郷隆盛を介錯した別府晋介生誕地

 

別府晋介生誕地の碑です。

 

西郷隆盛終焉の地に碑。

 

この終焉の地は今では、
目の前をJR鹿児島本線の線路が走り、
まわりには住宅地が迫る閑静な場所です。

 

そこに西郷隆盛終焉の地の碑が、
ひっそりと建っています。

 

 

南洲翁終焉の地ときざまれています。

 

 

西郷さんと幹部達は、
南洲神社の南洲墓地に眠っています。
南洲神社には西郷隆盛が祀られています。

 

西郷さんと幹部達は南洲墓地に眠ります。

 

西郷隆盛終焉の地で思いをはせる。

 

私は、この場所で、
西郷さんに思いをはせました。

 

明治維新を成し遂げた、
西郷さんの偉業の数々

 

自ら作ったと言ってもよい、
新政府によって命を絶たれたことなど。

 

このような終焉を迎える事になりましたが、
西郷さんが近代日本の礎(いしずえ)を、
作ったことは間違いありません。

 

なお鹿児島市以外の、
西郷隆盛のゆかりの地はこちらから ↓

鹿児島県内の西郷隆盛のゆかりの地

 

西郷隆盛が良く泊まった大隅半島根占の家

 

西郷隆盛終焉の地
鹿児島市城山町12

 

 

 

 

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