(西郷どん)西郷隆盛の野屋敷の跡地に行きました。

(西郷どん)西郷隆盛の野屋敷跡。

 

鹿児島のまち歩きで
西郷南洲翁西郷隆盛
ゆかりの地を巡っています。

 

西郷さんは良く引っ越しをしています。
ここでは西郷さんが鹿児島で、
住んだ屋敷の跡を紹介しますね。

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西郷さんの屋敷はいくつかあります。

 

西郷さんは、
生涯で住んだ場所を、
幾つか変えています。

 

まず、生誕地の加治屋町の、
下級武士の屋敷です。
ここで幼少期から青年期を過ごします。

 

 

西郷隆盛・従道の誕生地は今は公園。

 

 

その後に、
明治維新の激動の、
時をすごした上之園の宅地跡、
今は、共研公園になっています。
西郷南洲翁宅地跡は共研公園の中。

 

 

さらに征韓論で破れて、
鹿児島に下野したから過ごした
武町にある武屋敷跡です。
西郷隆盛の武屋敷跡には井戸が残る。

 

 

西別府町の野屋敷跡。

 

その他に、
意外と知られていない屋敷として、
西別府にある野屋敷(のやしき)があります。

 

ここは、観光地スポットである、
西郷生誕地の屋敷跡のように、
多くの観光客は訪れません。

 

地元も鹿児島県民も、
知っている人は、
あまりいないのじゃないかな。

 

 

この案内板の奥に野屋敷跡があります。

 

 

屋敷と言うより農事小屋。

 

この野屋敷は、
西郷さんが若いころ、
貧しい家計を助けるため。

 

周りの土地を開墾して、
サツマイモを植えていました。
農作業をする小屋だったのです。

 

6畳、3畳、4畳、2畳の、
田の字型の家でした。
生活と仕事の場所だったのです。

 

西郷さんの心安らぐ場所。

 

畑仕事や狩猟が好きだった、
西郷さんが心が落ち着ける
隠れ家的な場所だったともいわれます。

 

下野した後に住んだ、
武の屋敷への来客を避けるために、
ここを利用したそうです。

 

また西南戦争の時は、
妻のイトさんが、
11人の家族とともに、
生活していた場所でもあったのです。

 

イトさんが、
西郷さんの、
城山での最後を聞いたのも、
この野屋敷であったそうです。

 

 

かごしま文化工芸村側の入口にあります。

 

 

鹿児島実業の隣りの山の中。

 

知られていないのは、
その場所にあるかも知れません。
市街地から少し離れた、
西別府町(にしべっぷちょう)です。

 

移転してきた、
鹿児島実業高校の、
隣りにあるのです。

 

 

野屋敷跡は西別府町の鹿児島実業の前。

 

 

ちなみに鹿児島実業は、
多くのJリーガーを輩出した、
サッカーの名門高校です。

 

 

 

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かごしま文化工芸村のとなり。

 

かごしま文化工芸村の、
大きな駐車所から、
野屋敷跡までの散策路があります。

 

 

かごしま文化工芸村の駐車場に停めました。

 

 

この散策路は、
階段を登っていきます。
散策路は苔の緑がきれいです。

 

 

苔の坂をのぼっていきます。

 

 

散策路を登り詰めると、
展望台があります。

 

日頃の運動不足の私には、
少しきつい工程でした。

 

展望台は木々に囲まれる。

 

散策路の看板には、
桜島が一望と書いてあります。
実際は、展望台の周りは木々でした。

 

 

展望台の木々のすき間から桜島が見えます。

 

 

木々のすき間から、
桜島が見えないことはないのですが、
これでは一望とは言えませんね。

 

展望台から、
今度は下って行くと、
野屋敷跡が見えてきます。

 

 

階段を降りると野屋敷跡がありました。

 

西郷さんの野屋敷跡に着きました。

 

西郷さんの野屋敷跡に着きました。
山の木々に囲まれた、
山地を開墾した感じの場所です。

 

 

山中の狭い土地を開墾しました。

 

 

開けた農地の、
広い畑を想像していましたが、
実際は、山中の狭い場所でした。

 

西郷さんや、
妻のイトさんの苦労を、
感じさせる野屋敷跡です。

 

 

野屋敷内にある案内板です。

 

 

外城制度の一つでした。

 

説明の看板がありました。
また野屋敷跡の石碑も立ってました。
説明には次の事が書いてあります。

 

藩政時代は、城下の下級武士に、
郊外の山野を与えて、
開墾させていたそうです。

 

 

開墾した事を書いてある石碑です。

 

 

島津藩の領民を、
管理した方法に、
外城(とじょう)制度があります。

 

外城制度とは、領内の各地に、
畑を開墾させて、
半農半士の武士を置きました。

 

この野屋敷の畑も、
外城制度と同じ流れで、
土地を与えて開墾させたのでしょうね。

 

 

 

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大きなヤマモモの木がありました。

 

また敷地には、
大きなヤマモモの木があります。
これは市の保存樹木に指定されています。

 

樹齢は250年と言いますから、
西郷さんが開墾を始めた頃から、
このヤマモモはあったのです。

 

西郷さんが、
このヤマモモを見ながら、
畑を耕していたのでしょうね。

 

 

西郷さんも見ていたヤマモモの木。

 

 

ドラマ西郷どんは女性視点。

 

ところで、
NHKの大河ドラマは、
林真理子さんの「西郷どん」が原作です。

 

脚本は中園ミホさん、
女性二人のタッグで作るドラマは、
やはり女性の視点があるでしょう。

 

となると西郷さんをめぐる女性は、
本妻のイトさん、
島妻の愛加那(あいかな)、
彼女達も沢山、描かれると思います。

 

 

野屋敷跡の場所がドラマになるかな。

 

 

イトさんは野屋敷で最後を聞きます。

 

西郷さんは、
城山で最後を迎えます。
ドラマのクライマックスでしょう。

 

そしてイトさんは、
ここの野屋敷で、
西郷さんの最後を聞きました

 

イトさんにとっては、
この野屋敷が西郷さんと、
この世の別れの場所になりました。

 

 

イトさんと11人の家族が暮らしました。

 

 

野屋敷も舞台の一つになるかも。

 

女性視点で作られる、
「西郷どん」の中では、
野屋敷の舞台もはずせない。

 

そんなドラマチックな場所に、
なるんじゃないかな、
そんな思いがしました。

 

なんて、
かってに想像しながら、
野屋敷を後にしました。

 

帰りは駐車場まですぐでした。

 

野屋敷から駐車場までは、
別な道で帰りました。

 

鹿児島実業高校の、
前にある本来の、
野屋敷跡入口の狭い道です。

 

 

ここからは野屋敷跡がすぐに行けます。

 

 

ここからですと、5〜6分で、
かごしま文化工芸館の、
駐車場に行くことができます。

 

野屋敷跡の入口看板の前には、
駐車場がありますが、
関係の無い駐車場です。

 

かごしま文化工芸館の、
駐車場に停めましょう。

 

最後に気づいたこと。

 

野屋敷跡までの道は、
文化工芸館側からの散策路は、
があり、滑りやすいです。

 

時間の無い方や、
足腰に自信のない方は、
鹿児島実業側の入口を、
お勧めします。

 

また野屋敷ですので、
山の中のやぶもあります。
時期によってはがいます。

 

長袖や蚊よけのスプレーなど、
山歩きの服装で、
いかれた方が良いでしょうね。

 

 

周りにはやぶも多いのです。

 

 

「西郷どん」でお見えになるかも。

 

2018年の大河ドラマ、
「西郷どん」が放映が始まると。
西郷さんのゆかりの地が注目されます。

 

西郷さんの銅像や、
城山の洞窟などは、
今でも観光スポットです。

 

「西郷どん」のブームで、
有名な場所は、ますます多くの、
観光客が訪れるでしょう。

 

そうなると、
普段は訪れる方も少ない、
この野屋敷跡にも、
多くの方が来るでしょうかね。

 

なお鹿児島市以外の、
西郷隆盛のゆかりの地はこちらから ↓

鹿児島県内の西郷隆盛のゆかりの地

 

西郷隆盛が良く泊まった大隅半島根占の家

 

西郷南洲翁の野屋敷跡
鹿児島市西別府町
かごしま文化工芸村
鹿児島市西別府町2758番地
アクセス 南国交通バス
15番線 大峰団地線
16番線 文化工芸村線 
鹿実高校前下車 徒歩約5分

 

 

 

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