【かごしま歴史まち歩き】大坂の恩人と呼ばれた五代友厚の銅像は鹿児島市に二つあります。

五代友厚の銅像は鹿児島市に二つある。

 

 

鹿児島市泉公園に立つ五代友厚像。

 

 

鹿児島には
西郷隆盛を始め
多くの偉人が輩出しています。

 

特に明治維新の前後に
活躍した偉人達
日本の近代化に貢献しました。

 

その中で、大阪商工業の発展に
尽力した薩摩藩士が、
五代友厚(ごだいともあつ)です。

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五代友厚は、鹿児島市に誕生。

 

五代友厚は、1836年(天保6)に、
鹿児島市の永田町に生まれました。

 

幼いころより
その才能を評価されていました。

 

利発だったために、
藩主の島津斉彬(なりあきら)より、
才助という名前を与えられていました。

 

 

国際ビジネスマンでもありました

 

 

やがては、
大阪の初代商工会議所の、
会頭となるほどの五代友厚です。

 

そんな五代友厚、
若いころからかしこかったようですね。

 

 

鹿児島市内の五代友厚の誕生地

 

 

五代友厚の銅像が2ヶ所

 

ひとつは、鹿児島市の、
泉町にある泉公園内の銅像です。

 

五代の銅像の前には、
鹿児島県産業会館があります。

 

 

五代友厚はの産業会館前に立っています。

 

 

この地は、昔から
鹿児島の産業に、
関する施設がありました。

 

この場所は、
大阪の産業に尽力した、
五代友厚にふさわしかったのでしょう。

 

 

鹿児島市泉公園に立つ五代友厚像

 

 

若き薩摩の群像の中にも。

 

五代友厚の銅像の場所。
もう一つは、
JR鹿児島中央駅前の広場にある、
若き薩摩の群像の銅像です。

 

 

駅前広場の若き薩摩の群像

 

 

この薩摩の群像は、
薩摩藩が藩費でイギリスに、
留学させた若者達の銅像です。

 

 

薩摩藩英国留学生の解説です

 

 

薩摩は、イギリスとの間に、
薩英戦争を行います。

 

その時にイギリスとの力の差を、
見せつけられたのです。

 

そこで薩摩は、
すぐにイギリスと和解しました。

 

技術導入の為にイギリスに、
薩摩スチューデント」と、
呼ばれる藩士を送り出すのです。

 

しかも当時は、
海外渡航を禁止していましたので、
国禁を犯しての決断だったのです。

 

 

中央に座っているのが五代友厚です。

 

 

この英国留学を提案したのが、
なんと五代友厚だったのです。

 

 

五代友厚の名前ある解説板

 

 

やはり世界を見ていた五代友厚は、
先見の明があったようですね。

 

 

世界を見ていた五代友厚

 

 

五代友厚は留学生達を引率。

 

五代友厚は、
留学生としてではなく、
使節団としてイギリスに行きます。

 

その間、ヨーロッパの各地を、
視察や外交に奔走します。

 

五代友厚が引率した、
留学生一行が出発した羽島には、
薩摩藩英国留学生記念館があります。

 

薩摩藩英国留学生記念館はこちらから

 

串木野市の薩摩藩英国留学生記念館

 

五代友厚は大阪で活躍。

 

五代友厚が大活躍するのは、
何といっても大阪でしょうね。

 

大阪の商工会議所の、
初代会長になるなど、
大阪の産業の発展に尽力するのです。

 

それでも若いころは、
鹿児島で活躍しました。
そのためにこの銅像があるのです。

 

 

大阪の恩人と呼ばれています。

 

 

鹿児島のまち歩きの時には、
この五代友厚の、
二つの銅像を見てみませんか。

 

また五代友厚の誕生地も、
整備されて公園になっていますよ。

 

薩摩藩ビジネスマン・五代友厚の誕生地

 

五代友厚銅像
鹿児島市泉町 泉公園
アクセス 市電「朝日通り」電停下車2分

 

若き薩摩の群像
鹿児島市中央町 
JR鹿児島中央駅東口前広場

 

 

 

 

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