鹿児島市甲突川河畔に乃木静子の銅像を再建
乃木静子の銅像が再建されました。
今日の鹿児島まち歩きは、
鹿児島市内を流れる甲突川の河畔。
河畔の公園にある女性の、
銅像が再建されていました。
乃木静子夫人の銅像が再建。
乃木静子(のぎしずこ)さんの銅像です。
どんな方なのかと言いますと、
乃木希典(のぎまれすけ)大将の夫人です。
良妻賢母の鏡として知られる、
乃木静子夫人の像が、
何と70年ぶりに再建されたのです。
甲突川河畔にある乃木静子の銅像。
乃木静子夫人の銅像の場所は。
乃木静子さんの銅像がある場所は、
鹿児島市の新屋敷町と呼ばれる場所、
そばを流れる甲突川の河畔公園内です。
銅像は甲突川の河畔公園にあります。
近くには武之橋がかかり、
路面電車が行き交います。
その武之橋のたもとには、
大正8年に建てられた石碑があります。
乃木静子銅像の案内をしています。
路面電車が走る道にある案内石碑です。
大正8年には像があった。
案内石碑にあるように大正8年には、
最初の像がちやんと建っていました。
その後に、像の台座だけになってしまいました。
なぜかと言いますと、
銅像は、戦時中に供出されたからです。
おそらく鉄砲の弾になったのでしょうね。
供出された後は、
70年もの長い期間、
台座だけが残されていたのです。
70年もの間、台座だけがあったのです。
乃木静子夫人奉賛会が再建する。
台座だけでは寂しいと、
周辺住民より再建の機運が高まり、
乃木静子夫人奉賛会が結成されました。
近くの船魂ふなたま)神社の、
宮田宮司が事務局長になり、
街頭での募金活動などを行いました。
船魂神社にも募金のノボリがありました。
そして平成28年の11月27日に、
残っていた台座の横に、
乃木静子さんの像が再建されました。
台座の横に銅像が再建されました。
乃木静子夫人とはどんな方。
薩摩藩士の四女です。
乃木静子さんは、
薩摩藩士の湯地定之の四女として、
甲突川の河畔の地に生まれました。
家は、薩摩藩の藩医で、
この地に屋敷がありました。
将軍の妻・軍人の母を貫きました。
女学校時代は、質素、勤勉の、
才女として、名をはせたそうです。
そして20歳で乃木希典に嫁ぎました。
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良妻賢母の鏡となる。
日露戦争で、
二人の息子を亡くした時も、
大将の妻として毅然としていたそうです。
乃木大将への内助の功が、
良妻賢母の鏡とされ、
多くの女性の模範となりました。
大正元年に、明治天皇の後を慕って、
乃木将軍とともに自刃(じじん)しました。
このことがさらに妻の鏡とされました。
乃木静子夫人は良妻賢母の鏡とされました。
薩摩の女性として。
夫とともに殉死するなんて、
悲劇のなにものでもない、と思いますが、
当時は美談として語られたのでしょうね。
なにはともあれ、
薩摩の女性の強さを示したと、
言っても良いのでしょう。
そんな乃木静子の像の横には、
兄で海軍中将であった、
湯地定監(ゆちさだのり)の碑があります。
兄で海軍中将の湯地定監の碑です。
甲突川河畔は絶好の散歩道
乃木静子の像がある、
甲突川の湖畔の道は、
私の好きな散歩道なのです。
すこし上流に行けば、
西郷隆盛らが生まれ育った、
下加治屋町に出ます。
そんな歴史ある甲突川も、
今ではレジャーボートが行き交う、
平和な川になっています。
甲突川で楽しむ人々も多いのです。
そんな甲突川の湖畔公園には、
薩摩女性の乃木静子夫人像が、
70年ぶりに再建されたのです。
すぐそばにある、
乃木静子奉賛会がある、
船魂神社はこんなとこです。
乃木静子の像(生誕地)
鹿児島市新屋敷町4-17
市電 武之橋電停から徒歩5分
駐車場 有りません
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