薩摩藩家老・小松帯刀の原良別邸。
鹿児島まち歩き、今日は歴史探訪です。
訪ねたのは小松帯刀の原良別邸跡です。
小松帯刀とは薩摩藩の家老で、
28歳という若さで就任した実力者です。
帯刀は(たてわき)と読みますよ。
【投稿日 令和元年7月6日】
鹿児島市の原良町にあります。
鹿児島市の薬師交差点を、
山手に進むと城西歯科があります。
そこに案内板があります。
小松帯刀屋敷跡の案内板です。
案内板から左に折れて
住宅街の細い路地を進みます。
小松帯刀屋敷跡の案内板があります。
高い石垣にぶつかります。
路地を300m程進みますと、
緑の高い石垣にぶつかります。
小松帯刀の屋敷跡に着きました。
石垣の前の駐車できるスペースに、
他の方の通行の邪魔に、
ならないように駐車しました。
ここが小松帯刀屋敷跡の石垣です。
石垣の中程に石碑があります。
小松帯刀屋敷跡の石碑です。
さらにその横には、
小松帯刀についての案内板もあります。
案内板には坂本龍馬も宿泊とのこと。
石垣の先に石坂がありました。
この石垣を左に進むと、
屋敷に入って行く石坂があります。
石垣を回ると坂があります。
坂を進むと広い庭があります。
庭の奥には民家が見えます。
この民家は所有者がいて、
私有地になっていますので、
無断で立ち入らないで下さいね。
庭と民家は私有地になっています。
入口にも石碑があります。
庭の木々は手入れされて、
小松帯刀の屋敷跡の雰囲気があります。
入口には「小松帯刀の屋敷跡」と、
書かれた古い石碑がありました。
小松帯刀の屋敷跡の石碑です。
この庭を通って小松帯刀が、
屋敷に出入りしていたのでしょうね。
坂本龍馬も宿泊しました。
小松帯刀の屋敷には、
坂本龍馬も宿泊したといわれます。
坂本龍馬は京都の寺田屋で、
襲われて負傷します。
その傷の療養のために、
妻のお龍さんと薩摩にやってきます。
これは西郷隆盛が勧めたそうです。
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日本初の新婚旅行と言われます。
坂本龍馬とお龍さんは、
小松帯刀の屋敷に立ち寄った後に、
霧島の温泉で傷を癒しました。
二人は霧島の温泉につかりながら、
楽しい日々を過ごしました。
これは日本初の新婚旅行でした。
幻の宰相といわれました。
小松帯刀は倒幕に舵を切った、
島津久光を助け、坂本龍馬とともに、
薩長同盟を成立させます。
また徳川慶喜(よしのぶ)に、
大政奉還を勧告するなど、
新政府の発足に貢献します。
宝山ホールにある小松帯刀の像です。
その後、新政府の要職に就きますが、
35歳の若さで他界します。
そのために幻の宰相と呼ばれました。
小松帯刀の屋敷跡に行ってきました。
今日は小松帯刀の、
原良別邸に行ってきました。
屋敷跡の石垣や庭を見ると、
小松帯刀や坂本龍馬など、
幕末期の薩摩に思いをはせました。
小松帯刀原良別邸跡
鹿児島県鹿児島市原良4丁目16
駐車場 無し
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