谷山本城はかごしま自然百選の山城。
鹿児島市街地にある谷山本城です。
鹿児島市の谷山地区にある、
下福元町には歴史の足跡が、
はっきりと残る場所があります。
そこは薩摩平氏一族の、
郡司・谷山氏の居城であった、
谷山本城(たにやまほんじょう)です。
谷山本城は、
南北朝時代に作られた山城跡です。
【投稿日 令和2年3月27日】
谷山本城の場所。
谷山本城があるのは、
鹿児島市下福元町です。
JR指宿枕崎線の「慈眼寺駅」から、
高架式線路をくぐって北上すると、
コンビニのある信号を左折します。
コンビニの駐車場から見えます。
コンビニの駐車場からも見える、
小山は街中なので、あれが、
ほんとに山城なのと思いました。
あの小山がホントに山城なの?
登城口に説明板があります。
住宅地の中を山沿いに進むと、
谷山本城の登城口があります。
谷山本城の入口には案内板があります。
登城口には解説板があります。
かごしま自然百選にも、
なっているようですね。
かごしま自然百選にもなっています。
山城の道も整備され、
自然観察もできる公園と、
言っても良いかも知れませんね。
谷山本城(千々輪城)の案内板。
谷山本城説明板から入ります。
説明板の狭い道を、
車でそのまま進むと空き地にでます。
近所の方の駐車場になっています。
駐車場使用者の表示が無い、
多くのスペースがありましたので、
ここに停めさせていただきました。
空き地の横の道を進みます。
登城の道の掘割を登ります。
いよいよ登城したいと思います。
登城の坂道は昔の掘割の跡ですね。
敵の侵入を防ぐためにとても狭いです。
先が見えないカーブになっていて、
道の両サイドは高い壁です。
山城の雰囲気を味わえる道ですよ。
それでも鹿児島自然百選です。
足元や手すりもしっかり整備され、
散歩気分で安心して登れます。
掘割を使った登城道は整備されています。
途中に空堀の跡が残ります。
道の右側には谷が広がっています。
これは空堀の跡と思われます。
敵の侵攻を阻むために、
人工的に掘ったのです。
鹿児島の多くの山城に見られます。
鹿児島の土地は火山灰が積もった、
シラス台地で掘り易かったのです。
シラス台地を掘った空堀がありました。
伊勢神社がありました。
道の途中に平坦な場所が現れます。
奥には伊勢神社の社が見えます。
平坦地の奥に神社の社があります。
谷山本城は二段の造りになっていて、
ここは二段目の場所です。
説明板にはこの場所は、
武者溜まりと書いてありましたので、
本丸を守るために、多くの武者が、
ここで迎え撃ったのでしょうね。
伊勢神社の回りが武者溜まりです。
一番高い主郭に着きました。
武者溜まりからさらに進むと、
広い平坦地に出ました。
ここが谷山本城の主郭です。
伐採された切株もありますが、
桜の木も植えられています。
春には桜が見られるのでしょう。
谷山本城の主郭に出ました。
ここに谷山本城の屋敷があって、
城主やその家族が暮らしていた、
事を想像してしまいました。
スポンサードリンク
周りには土塁の跡がありました。
主郭の回りには土塁の跡があります。
土塁(どるい)とは、人工的に、
盛られた防護用の盛り土です。
主郭の周りには土塁がありました。
土塁の先は、
切り立った崖になっています。
敵の侵攻を阻む城の壁になっています。
山城ですので、
土を削って崖を作ったらしいです。
崖を作って城の壁にしました。
愛宕神社と谷山本城の城址碑
主郭の端は、
見晴らしの良い高台になっていて、
神社の社があります。
高台に愛宕神社がありました。
これは愛宕神社です。
守護神の勝軍地蔵を祀っています。
戦いの神様は絶対必要だったのです。
谷山城の守護神・愛宕神社です。
愛宕神社の横には、
谷山本城の城址碑があります。
千々輪城とも呼ばれていました。
谷山本城(千々輪城)の城址碑です。
200年間は谷山氏の居城でした。
谷山本城は建仁三年(1203)に、
谷山信忠が郡司職になった時に、
築城しました。
郡司職とは郡を治める地方役人で、
地方豪族が任命されました。
谷山氏はこの土地の豪族でした。
築城後の200年間は、
谷山氏の居城となりました。
200年間は谷山氏の居城でした。
南北朝時代の谷山城
南北朝時代になると、
日本各地は南朝と北朝に分かれ、
戦いがくりひろげられていました。
鹿児島では、
南朝側についた谷山隆信は、
北朝側の島津氏と戦っていました。
城主・谷山隆信は島津氏と戦いました。
懐良親王を迎えました。
劣勢になった谷山隆信は、
後醍醐天皇の第九皇子の、
懐良(かねよし)親王を迎えます。
征夷大将軍の懐良親王は、
谷山城の近くに御所を設けて、
南朝側の回復に努めます。
1342年に谷山城に入城したのち、
島津氏の東福寺城を攻め立てますが、
一進一退の戦いを数年くり広げます。
懐良親王もここに入城しました。
島津氏が勝利します。
しかし1348年に、
島津氏が谷山隆信に勝利すると、
懐良親王は肥後に移動します。
その後、島津氏が入った谷山城は、
島津氏の内紛の場所になり、
戦いの歴史が続きます。
戦いの舞台が長く続きました。
スポンサードリンク
谷山城の下には市街地が広がります。
谷山城は標高50mの丘陵地です。
城内の愛宕神社から見ると、
桜島と谷山の市街地が見えます。
城の下には市街地が広がります。
桜島と山々の姿は当時のままで、
山の向こうに居る島津氏と、
にらみ合っていたのでしょうね。
そんな事を考えながら、
当時に思いを馳せました。
山の向こうの島津氏と戦いました。
歴史好きな方には、
谷山城はお勧めの場所ですよ。
谷山城(千々輪城)
鹿児島市下福元町1385
JR指宿枕崎線「慈眼寺駅」徒歩10分
ツイート
ご家族のテレビの大音量でお悩みの方へ
スポンサードリンク
かごしまのその他の、
観光情報サイトはこちらから。
鹿児島ご朱印ボーイ
鹿児島、他の神社仏閣の御朱印を紹介。
鹿児島の歩き方
鹿児島県内の観光ガイド情報です。
かごしまの路面電車
鹿児島市の路面電車の情報です。