鹿児島市の鶴丸城(鹿児島城)跡
鹿児島市内には、
城山と呼ばれる山があります。
その城山の麓には、
薩摩藩主、島津家の
鹿児島城があります。
地元では鶴丸城と呼ばれます。
この城は、天守閣を持ちません。
その理由とともに
鶴丸城を紹介しますね。
城跡には石垣や堀が残っています。
現在は、城跡の石垣や、
堀とそれにかかる石橋を残しています。
これらは、鹿児島県の指定史跡になっています。
お堀沿いに続く道は、
季節の花が咲く絶好の、
散策コースになっているのです。
お堀沿いは散策に良いですよ。
鹿児島では鶴丸城と呼ばれています。
でも、地元の人は、
「鹿児島城」なんて言いませんよ。
昔から「鶴丸城」と呼んでいます。
ですからお城跡までの、
道を尋ねるときは、
鶴丸城と言わないとわかりませんよ。
鶴丸城の名前は、
屋形の造りの形状が、
鶴が羽根を広げた姿に似ていたからです。
私も鶴丸城の方が好きですね。
鹿児島城を「別名鶴丸城」として、
紹介したりしますが、とんでもありません。
やっぱり鶴丸城です。
薩摩は「人をもって城となす」
また、名前の由来になった、
屋形(やかた)造りは、
薩摩の城造りの特徴でもあったのです。
普通にお城といえば、
高い石垣と天守閣を、
思い浮かべるのではないでしょうか。
城壁も高くはありません。
屋形造りは、
城攻めの防御には、
不向きと言われています。
また天守閣を持たない屋形造りは、
77万石の大名の、
城としては珍しかったのです。
薩摩独自の外城(とじょう)制度。
「薩摩は城をもって城とせず、
人をもって城となす。」と考えていました。
領地の各地に、
山城を築かせて、
それを家臣に守らせていたのです。
この外城制度(とじょう)を取ることで、
堅固な城の代わりにしていたのです。
お堀にはハスがいっぱいです。
薩摩のしたたかさ。
また、防御に甘い屋形造りにすることで、
江戸幕府に対して、
従順な意思を表していたといわれます。
表向きの屋形造りの代わりに、
外城で防備を怠らなかったところに、
薩摩のしたたかさを感じてしまいます。
本丸跡地には黎明館が建ちました。
現在、鶴丸城の本丸跡地には、
黎明館(れいめいかん)、
(鹿児島県歴史資料センター)が建っています。
本丸の跡地は黎明館になっています。
黎明館は鹿児島の歴史や、
文化を紹介する総合的な博物館です。
篤姫や七高生の像があります。
また黎明館の前庭には、
篤姫の像も建っています。
大河ドラマにもなったあの「篤姫」です。
篤姫は徳川将軍の奥方になり、
江戸城の無血開城に、
貢献した薩摩のお姫様です。
天璋院 篤姫の像です。
本丸跡は、第七高等学校造士館、
(通称 七高(しちこう))の、
校舎があったこともあります。
黎明館の庭には、
記念の七高生の像などが建っています。
七高生久遠の像です。
御楼門の復活に期待します。
現在は、大手門の跡がのこっていますが、
かっては、ここに、
御桜門(ごろうもん)がありました。
鶴丸城の大手門の跡です。
二階建ての、
櫓門(やぐらもん)が建っていたのです。
この御楼門を復活させようという、
プロジェクトが立ち上がりました。
明治維新150年にあたる、
平成30年までの、
完成を目指して活動しています。
あなたも、
そんな鶴丸城に行ってみませんか。
まち歩きにはもってこいの所ですよ。
鶴丸城(鹿児島城)跡
鹿児島県歴史資料センター黎明館
鹿児島市城山町7-2
TEL 099(222)5100
鹿児島市電「市役所前」下車 徒歩5分
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