鹿児島市の郊外にある関吉の疎水溝も世界遺産に登録されました。

鹿児島市郊外の関吉の疎水溝も世界文化遺産に登録されました

 

鹿児島市にある歴史資産が、
世界文化遺産に登録されました。

 

幕末から明治にかけての、
産業革命遺産群です。

 

その中の関吉(せきよし)の疎水溝
紹介しますね。

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三つの世界文化遺産。

 

鹿児島では、
次の三か所が登録されました。

 

旧集成館
(きゅうしゅうせいかん)
寺山炭窯跡
(てらやますみがまあと)
それと関吉の疎水溝
(せきよしのそすいこう)です。

 

ここでは、関吉の疎水溝を、
紹介したいと思います。

 

 

この奥に関吉の疎水溝があります。

 

 

関吉の疎水溝は関連施設。

 

その前に、
旧集成館について、
説明していますね。

 

幕末の薩摩藩主・
島津斉彬
(しまずなりあきら)
によって、
始められたのが集成館事業です。

 

これは、製鉄や紡績などの、
産業を初めて興したものです。

 

それらの遺産が、
残っているのが旧集成館です。

 

集成館事業に、
必要な動力を提供したのが、
関吉の疎水溝寺山炭窯です。

 

 

寺山炭窯跡

 

 

関吉の疎水溝の水を水力として、
また寺山炭窯の白炭を、
火力として使用していたのです。

 

関吉の疎水溝は稲荷川の上流。

 

関吉の疎水溝は、
鹿児島城下を流れる、
稲荷川の上流にあります。

 

県道25号線を、
鹿児島市の上本町から、
北上すると下田町に入ります。

 

森口病院を過ぎて、
畑が広がってきたあたりに、
関吉の疎水溝の案内板。

 

 

案内板や駐車スペースは畑の中。

 

 

また、九州自動車道の、
吉田ICからですと、
車で10分程の所ですよ。

 

大きな駐車場はなくて、
畑のあぜ道に駐車しました。

 

世界遺産に勧告のニュースの後は、
多くの方が見えるとあって、
誘導の方がいました。

 

疎水溝は稲荷川の渓流地。

 

案内板に沿って、
山の方に進むと、
水の音が聞こえてきました。

 

やがて、大きな石が、
ごつごつと並ぶ、
渓流地にやってきました。

 

右側は切り立った、
石の壁になっていて、
その下に水路が作られていました。

 

 

石の壁に沿って水路が作られました。

 

 

木材で水をせき止めました。

 

取水口の部分には、
集成館事業の当時は、
木材でセキを作っていたそうです。

 

 

木材をはめる切り込み。

 

 

その木材をはめていた切り込みや、
支柱を立てたを、
人工的につくっていたそうです。

 

 

 

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集成館の工場の動力です。

 

人工的なダムを作り、
水路に水を流していたのです。

 

ここから磯の集成館まで、
8キロの疎水溝を作って、
水を引き込んでいたのです。

 

集成館の裏の山から水を落として、
その水力を工場内の、
動力源として使っていたそうです。

 

 

ここの水が集成館の動力。

 

 

ボランティアガイドも説明。

 

ボランティアガイドさんがいて、
説明をしていました。
さらに関吉の疎水溝がわかりました。

 

 

ボランティアガイドさんも活躍。

 

 

関吉の疎水溝は、
少し危険な場所もありますので、
気をつけて下さいね。

 

水面までかなりの高さの、
場所があり滑りやすいのです。

 

 

けっこう高い所から水が落ちます。

 

 

近代日本の原動力になった。

 

集成館事業が、
日本の産業の始まりといえます。

 

となるとこの関吉の疎水溝の、
水の力が近代日本の、
原動力になったとも言えますね。

 

そういう意味での、
世界産業遺産への登録なのでしょう。

 

関吉の疎水溝
(せきよしのそすいこう)

鹿児島市下田町1263
JR鹿児島中央駅から緑ヶ丘団地線バス
下田バス亭下車、徒歩12分
九州自動車道吉田ICより車で約15分。

 

 

 

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