(西郷どん)西郷と大久保の座禅石。
今日は前から気になっていた
場所に行ってきました。
そこは座禅石公園です。
西郷隆盛や
大久保利通らが若いころに
座禅をした石がある公園なのです。
と言っても人が集まる
観光スポットではありません。
西郷ファンだけが訪れる場所。
西郷隆盛のゆかりの場所は、
鹿児島市内のあちらこちらにあります。
ここの座禅石公園は、
見るべきものが石だけなので、
なかなか人が来ないのですよ。
でも西郷隆盛の、
ファンであれば、
一度は訪れてみたいところです。
鹿児島護国神社のすぐそば。
場所は鹿児島護国神社から、
城山団地に向かう、
坂道の途中から中に入ったところです。
鹿児島縣護國神社の御朱印。
住宅街にある墓地の横と、
いう場所柄ですので、
時間の無い方にはお勧めできません。
座禅石はこちらの看板を、
いつも見ながら車で通っているので、
前から気になっていました。
この看板の先に座禅石があります。
この「鹿児島まち歩き」を、
書いたことがきっかけで、
座禅石に来たという訳です。
若き日の西郷隆盛らが座禅。
この公園には、
若き日の西郷隆盛や、
大久保利通達が、
座禅を組んだ石があるのです。
座禅石公園の座禅石です。
他に石に座った人達は、
精忠組の若者達だったのです。
でもなぜここの石で座禅を、
したかといいますと、
彼らが学んだ禅の影響があったのです。
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座禅石で禅を学んでいました。
彼らが禅を学んだのが、
無参禅師(むさんぜんじ)、
という名僧でした。
無参禅師は鹿児島城下の南林寺や、
島津家の菩提寺であった、
福昌寺の住職を勤めた方です。
その無参禅師が、
草牟田の誓光寺(せいこうじ)の、
住職をしている時に、
西郷達に禅を教えていたそうです。
そしてこの座禅石は、
誓光寺の庭にあったそうです。
そして西郷達は毎朝、
ここまで来て禅を学び、
座禅を組んでいたわけです。
自分たちの心身を鍛えました。
当時の薩摩は、
次の藩主をめぐって、
斉彬派と久光派が対立していました。
それはお由羅騒動(おゆらそうどう)
と呼ばれる、
お家騒動の渦中でした。
そんな藩のゴタゴタの中で、
無参禅師に教えを乞い、
座禅をしながら、
自分たちの心身を鍛えていたのです。
とくに、
西郷隆盛と大久保利通は、
明治維新の立役者となりました。
また精忠組の若者達も、
同じ様に明治維新を、
成し遂げる力となりました。
明治維新で活躍した若者達を鍛える。
新しい日本を作った座禅石。
でも西郷さんは、
大きな身体だったそうですが、
この石の上で座禅ができたのかな、
なんて思ってしまいました。
この石で座禅をした若者たちが、
やがて新しい日本をつくったとすると、
この石が日本の礎になったのでしょう。
今日は座禅石公園に行って、
若き日の西郷隆盛や、
大久保利通達に思いをはせてきました。
座禅石公園
鹿児島市草牟田2丁目60
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