西郷どん(西郷隆盛)は蘇生の家で生き返りました。

西郷どん(西郷隆盛)蘇生の家。

 

鹿児島市内にある、
西郷隆盛翁のゆかりの地の数々。

 

そんなゆかりの地で、
西郷さんの生涯で不遇の時代
象徴している場所があります。

 

それが西郷隆盛蘇生(そせい)の家です。
西郷さんが息を吹き返した家です。

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国道10号線沿いのわらぶき家。

 

西郷隆盛蘇生の家は、
国道10号線沿いにある、
小さなわらぶきの家です。

 

磯の仙巌園(せんがんえん)から、
姶良(あいら)方面に1キロ程いくと、
日豊本線の線路脇に見えてきます。

 

以前から、
車で通るたびに、なんか、
小屋があるなと思っていました。

 

でもこのわらぶき小屋が、
日本の歴史にとって、
重要な家だったのです。

 

 

この家が歴史的に重要な場所なのです。

 

 

手前の団子屋の駐車場に入りました。

 

車で行ったのですが、
蘇生の家の手前にある、
団子屋さんに入りました。

 

実は、
蘇生の家には、
駐車場がないのです。

 

そこで、
団子屋さんの駐車場に車を停めて、
歩いて行くことにしました。

 

 

団子屋さんの駐車場に停めました。

 

 

蘇生の家までの案内板。

 

団子屋さんの駐車場には、
蘇生の家までの案内板があり、
地図が書いてありました。

 

 

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蘇生の家までの地図がありました。

 

 

ということは、多くの方が、
この駐車所に停めるのかな。

 

地図によると、
国道10号線の脇の歩道を、
徒歩2分、最初の信号の所です。

 

帰りには、
停めていただいたお礼に、
じゃんぼ餅を買いました。

 

 

お礼に名物じゃんぼ餅を買いました。

 

 

じゃんぼ餅は、
鹿児島名物のお菓子で、
近くの磯街道にお店が並んでいます。
名物じゃんぼ餅は平田屋さんです。

 

お団子屋のご主人は話し好き。

 

このお団子屋さんのご主人の、
ご先祖様は蘇生の家で、
西郷さんを助けた方なのです。

 

 

御主人の西郷秘話は必聴ですよ。

 

 

そのため、お店には、
西郷さんを介抱に使った、
蘇生の器が展示してあります。

 

 

西郷さんを助けた蘇生の器です。

 

 

なによりも話し好きな御主人の、
語り伝えられた西郷さんの秘話は、
歴史ファンにはたまりませんよ。

 

蘇生の器を動画に撮りました。

 

 

蘇生の家が見えてきました。

 

国道10号線の右手に、
錦江湾と桜島を眺めつつ、
歩いて行くと。

 

すぐに、
日豊本線の線路わきに、
わらぶきの家が見えてきます。

 

 

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線路わきに蘇生の家が見えてきました。

 

 

花倉(けくら)の信号を、
渡ると蘇生の家です。

 

列車の踏切も渡りますので、
充分に気を付けて下さいね。

 

お団子屋さんから、蘇生の家までは、
国道10線の歩道を進みます。
動画に撮ってみました。

 

 

すぐに蘇生の家の石碑がありました。

 

蘇生の家の入口には、
西郷先生蘇生の遺跡と書いた、
石碑が立っています。

 

 

西郷先生蘇生の碑です。

 

 

石碑の文字は、
西郷隆盛を尊敬してやまない、
東郷平八郎の書によります。

 

そして、
月照上人(げっしょうしょうにん)
の遷化(せんげ)の碑
です。

 

遷化とは偉いお坊さんが、
亡くなることをいいます。

 

 

月照上人の遷化の碑です。

 

 

入水自殺を図りました。

 

西郷さんと月照上人は、
ここ花倉の沖で、
船から入水自殺を図りました。

 

すぐに引き上げられましたが、
西郷さんは、助かりますが、
月照上人は亡くなってしまいます。

 

現在、月照上人は、
鹿児島市内の南洲寺の、
お墓に眠っています。

南洲寺の月照上人のお墓です。

 

蘇生の家で息を吹き返します。

 

引き上げられた二人は、
花倉の漁師、
坂下長右衛門の家で看護されます。

 

そして、
西郷さんだけが息を吹き返したのです。

 

その漁師の家が、
この西郷隆盛の蘇生の家と、
呼ばれているのです。

 

平野国臣も船に乗っていました。

 

実は西郷さんが乗っていた船には、
勤王志士の平野国臣(くにおみ)も、
乗っていました。

 

平野国臣は、西郷の命を受けて、
筑前から月照上人のお供して、
無事に薩摩に入ります。

 

西郷と月照が入水した時は、
驚いて、海から引き上げます。
平野国臣も西郷の命の恩人なのですね。

 

この後、薩摩を追放されますが、
平野国臣は有名な歌を残しています。
再び訪れた伊集院にその歌碑があります。

 

平野国臣の歌碑は伊集院にあります。

 

 

 

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藩の外に追放されます。

 

西郷さんは、
名君島津斉彬の死後、
大きな後ろ立をなくしました。

 

そんな折、
京都清水寺の勤皇の僧、月照は、
安政の大獄から逃れようと、
西郷を頼って鹿児島に来ます。

 

幕府を恐れる、
斉彬死後の薩摩藩は、
西郷と月照を東目(ひがしめ)送りにします。

 

東目送りとは、
日向経由で藩外に、
追放することです。

 

そして、送りの途中で、
処刑されることを意味しています。

 

 

蘇生の家の案内に書いてあります。

 

 

蘇生の家の回りを、
動画に撮ってみました。

 

 

生涯で最も不遇の時。

 

斉彬を亡くし、
藩にも見捨てられた西郷さんの、
絶望感はすごかったでしょうね。

 

西郷さんの最も、
人間らしさ(弱さ)が、
この入水自殺だったと思います。

 

一人生き残った後でも、
自分を「土中の死骨」と呼び、
生涯、恥じとしたそうです。

 

 

この花倉の沖で飛び込みました。

 

 

生き返り、天命を知る。

 

その後、島流しにも会いますが、
藩に復帰した西郷さんは、
大活躍をして明治維新を成し遂げます。

 

私は、命拾いをした西郷さんは、
この場所で「天命」というものを、
確信したのではないかと思います。

 

その後、
天命に導かれた西郷さんは、
幾たびかの死にも直面します。

 

しかし、天命が尽きるまでは、
死をも恐れず
自分の信じる道を、
突き進んだのではないでしょうか。

 

 

この蘇生の家で天命を確信したのか。

 

 

蘇生の家がなかったら。

 

天に拾ってもらったこの命は、
人のために、日本のために、
使おうと決めたのかも知れない。

 

もしこの蘇生の家がなくて
西郷さんにもしものことがあったら、
明治維新はなされたのかな。

 

そんなことを思いながら、
西郷隆盛蘇生の家をあとにしました。

 

蘇生の家の前には、
西郷さんの頃は無かった、
JR日豊本線と国道10号と、
当時と変わらぬ桜島もありました。

 

なお鹿児島市以外の、
西郷隆盛のゆかりの地はこちらから ↓

鹿児島県内の西郷隆盛のゆかりの地

 

西郷隆盛が良く泊まった大隅半島根占の家

 

西郷隆盛蘇生の家
鹿児島市吉野町9798-1
駐車場はありません。
鹿児島交通(国分行き)花倉バス停下車1分
鹿児島中央駅からバス35分

 

 

 

 

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