西郷どんの足跡、鹿児島市の寺山開墾地の記念碑。

西郷どんの寺山開墾地跡。

 

 

西郷隆盛の寺山開墾地を訪ねました。

 

 

鹿児島市にある、
西郷隆盛の史跡巡りで、
西郷どんの足跡を訪ねています。

 

今日訪れたのは、
明治6年に鹿児島に戻ってからの
活動の中心になった寺山の開墾地を訪ねます。

スポンサードリンク

 

寺山ふれあい公園を利用します。

 

開墾地跡は、
寺山自然遊歩道の途中にあります。
遊歩道の入口から歩いて5分程です。

 

 

開墾地跡は寺山自然遊歩道の途中です。

 

 

寺山自然遊歩道は、
関係車両以外は通行できません。
そのために車は寺山ふれあい公園に停めます。

 

寺山ふれあい公園は、
吉野台地の高台にある公園で、
寺山自然遊歩道の入口にあります。

 

 

寺山ふれあい公園の駐車場に停めました。

 

 

遊歩道入口からすぐです。

 

遊歩道の入口に案内地図があります。
地図で確かめて進みましょう。

 

 

案内地図で確認しましょうね。

 

 

遊歩道は森に囲まれた道です。
こぼれ日がさして、
気持ちの良い道を歩いて行きます。

 

 

こぼれ日が差す遊歩道を進みます。

 

 

すると、急に開けた場所に着きます。
ここが西郷どんの開墾地です。

 

 

すぐに開けた場所に着きます、開墾地跡です。

 

西郷南洲翁の開墾地の碑。

 

開墾地跡の中で、
一段高くなった階段の先には、
南洲翁開墾地遺跡碑」があります。

 

碑がある場所には、
寺山私学校があった所です。
ここで勉学に励んだのでしょうね。

 

 

南洲翁開墾地遺跡の碑があります。

 

 

それとこの碑の文字は、
あの東洋のネルソンと言われた、
東郷平八郎元帥の筆によるものです。

 

東郷元帥は、
西郷隆盛翁を自分の師として、
非常に尊敬していました。

 

 

東郷平八郎の像は多賀山公園にあり。

 

 

征韓論に破れました。

 

西郷どんが、
鹿児島に戻った理由は、
征韓論に破れたからです。

 

西郷どんが唱えた征韓論とは、
開国を拒否する李氏朝鮮に、
使節を送り開国を迫るものでした。

 

これに対して、
欧米視察から帰った大久保利通らの、
内政優先派と激しく対立します。

 

結果、征韓論に破れて、
鹿児島に戻ってきます。

 

この時から、盟友大久保とは、
袂(たもと)を分(わ)かつことになります。

 

 

 

スポンサードリンク

 

 

 

私学校を創設します。

 

鹿児島に戻った西郷どんは、
翌年に私学校を創設します。

 

私学校は、
鹿児島の青年達の教育機関です。

 

私学校では軍事訓練を行う一方、
荒れ地を開墾させて、
自活の精神を養おうとしました。

 

 

私学校の生徒とともに荒れ地を開墾しました。

 

 

寺山の山地を開墾しました。

 

西郷どんは、翌年の明治8年に、
この寺山の地に開墾社を作ります。

 

寺山一帯の、
およそ39ヘクタールを開墾し、
私学校の生徒達とともに畑を耕します。

 

西郷どんもみずから、
昼は開墾につとめ、
夜は勉学にはげみました。

 

開墾地を紹介する看板があります。
西郷どんのここでの開墾の、
様子が書いてあります。

 

 

西郷どんの開墾地について紹介しています。

 

 

西郷武屋敷から通いました。

 

鹿児島に戻ってからの、
西郷どんが住んだのが武屋敷です。

 

武村の吉」と呼ばれていた西郷どんは、
武村の屋敷から馬を引いて、
寺山の開墾地まで来ていました。

 

 

西郷隆盛の武屋敷跡には井戸が残る。

 

 

また開墾のかたわらで、
大好きな狩猟や温泉に浸かり、
鹿児島県内の各地を訪ねました。

 

西南戦争が始まるまでの、
この4年間は、西郷どんにとって、
最も楽しい日々ではなかったでしょうか。

 

開墾地で敬天愛人を実践。

 

この開墾地の跡で思ったことは、
西郷どんの偉大さです。

 

開墾する以前は、
山の中の荒れ地であったでしょう。
この荒れ地で青年達を教育したのです。

 

若者達のためになるように、
自活の道を探りながら、
身体と精神を育てていったのです。

 

そんな、人と自然と共に、
生きようとする姿勢で、
あの「敬天愛人」を実践したのです。

 

しかし、その強い思いが、
結果として西南戦争という、
悲劇を生むことになるのですが。

 

 

私学校跡に残る西南戦争の砲弾の跡。

 

 

寺山炭窯跡が近くにあります。

 

この開墾の地からすぐの所に、
寺山炭窯の跡地があります。

 

この寺山炭窯は、
西郷どんが最も尊敬した、
薩摩の名君、島津斉彬(なりあきら)の、
指導により作られました。

 

寺山炭窯は、
明治日本の産業革命の遺産として、
世界文化遺産に登録されました。

 

開墾の地から、
340mの距離ですので、
こちらも一緒に見てきましたよ。

 

 

寺山炭窯跡は近代日本の始まり。

 

 

自然の中で歴史を感じます。

 

西郷どんが若者達と開墾した場所と、
世界遺産の炭窯跡は、
寺山自然遊歩道を歩いて行きます。

 

寺山自然遊歩道は、
整備はされていますが、
場所によって急な坂道もあります。

 

車いすは無理ですが、
山歩きの好きな方には、
丁度良い自然探索コースですよ。

 

あなたも自然の中で、
西郷さんの足跡をめぐってみませんか。

 

なお鹿児島市以外の、
西郷隆盛のゆかりの地はこちらから ↓

鹿児島県内の西郷隆盛のゆかりの地

 

西郷隆盛が良く泊まった大隅半島根占の家

 

南洲翁開墾地遺跡碑
鹿児島市吉野町10857−1

 

寺山ふれあい公園
鹿児島市吉野町10877−15
電話 099−229-6985
駐車場 90台(無料)

 

 

 

 

 このエントリーをはてなブックマークに追加 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポンサードリンク

 

 

かごしまのその他の、

観光情報サイトはこちらから。

鹿児島ご朱印ボーイ
鹿児島、他の神社仏閣の御朱印を紹介。

鹿児島ご朱印ボーイ 南九州寺社巡り

鹿児島の歩き方
鹿児島県内の観光ガイド情報です。

鹿児島の歩き方  観光ガイド情報

かごしまの路面電車
鹿児島市の路面電車の情報です。

鹿児島市の路面電車 かごしま街案内

 

スポンサードリンク