西郷どんの駄馬落の碑
鹿児島のまち歩きで
西郷どんのゆかりの地を
訪ねています。
鹿児島には
西郷隆盛翁の足跡が
あちこちに残っています。
そのなかで西郷どんの人柄を表わす
場所に行ってきました。
鹿児島の吉野地区にあります。
それが駄馬落(だばらく)の碑です。
とても観光スポットとは言えませんが
熱烈な西郷ファンなら行って見たいかも。
その場所は、
鹿児島市の北部にある、
吉野地区の道路沿いにあります。
駄馬落(だばらく)の碑がありますが、
良く見ないと見落とすかも。
碑がある道路はバス通りです。
一番近いバス停は、
駄馬落バス停で下車して1分です。
なんと、バス停の名前になっています。
駄馬落はバス停になっています。
駄馬落の碑とはなんのこと。
そもそも、この駄馬落の碑とは、
どんな碑であるかと言いますと、
碑に刻まれた文字には。
駄馬落 積荷は唐芋
引手は南州翁 とあります。
意味は次の通りです。
唐芋(さつまいも)を積んだ馬が、
突然約1.8m下の畑に落ちました。
馬を引いていたのは南州翁でした。
駄馬落の碑です。
西郷どんは馬が苦手。
なんと西郷隆盛が、
唐芋(さつまいも)を積んだ馬を、
あやまって下の畑に落としたそうです。
それだけ、
西郷どんは馬の扱いが、
苦手だったようです。
気づいた近所の人々が、
引き上げてくれたそうです。
また念のために坂の下まで付いていきました。
駄馬落の碑の解説があります。
西郷どんの人柄を表わす。
西郷どんは、笑いながら、
「馬引きのオイが下手だから、
困ったもんだ。」とお礼を述べたそうです。
馬の扱いが下手だと正直に言う、
飾らない西郷どんの性格を、
表わしていること。
また、そんな性格だから、
人々に愛されていた事を
私達に伝えているのです。
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あの西郷さんだからこその碑。
西郷どんは、
ご存知、明治維新の立役者です。
維新にはなくてはならぬ人物です。
また最も愛された人でもあります。
そんな西郷どんだからこそ、
馬を落としても碑が建てられのでしょうね。
西郷どん以外の人が、
馬を落としても、
こんな駄馬落の碑はなかったでしょう。
西郷どんならではの碑かも。
鹿児島に下野してから。
西郷どんが馬を落としたのは、
寺山の開墾地から、
武村の屋敷に帰る途中でした。
その頃の西郷どんは、
中央政界で征韓論に破れて、
鹿児島に帰って来ていました。
下野した西郷どんは、
私学校を創設して、
吉野に寺山開墾社を建てました。
そこで、生徒とともに、
農業や勉学に励んだのです。
武村の屋敷からも良く出かけました。
西郷どんが最も心休まる日々。
西郷どんは、
開墾地でクワをふるう一方で、
鹿児島県内の各地を訪ねました。
それは大好きな温泉につかり、
狩猟を楽しんでいたのです。
まさに晴耕雨読の日々でした。
それは、やがて始まる、
西南戦争までの間に、
最も心を休めた時と思いますよ。
西郷どんが大河ドラマに。
昨年(平成20年)の、
NHK大河ドラマは、
「西郷どん」でした。
西郷隆盛の銅像などの
観光スポットには多くの方が、
きっと見えるでしょう。
その中には、
この駄馬落の碑を見に来る方も、
少しは、いるでしょうかね。
西郷どんの駄馬落の碑
鹿児島市吉野町2536-10
鹿児島市営バス6番線(吉野線)
駄馬落バス停下車1分
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