五代友厚の誕生地を紹介します。
五代友厚の誕生地に行ってきました。
鹿児島まち歩きです。
五代友厚の誕生地に行ってきました。
五代友厚は薩摩藩士ですが、
ビジネス能力が高く大坂商工会議所を、
作り初代会頭になりました。
【投稿日 令和元年6月18日】
五代友厚の誕生地の場所。
五代友厚(ごだいともあつ)の誕生地は、
鹿児島市の永田町にあります。
藩政当時の上町地区にあたる所で、
現在は閑静な住宅地になっています。
城山の山際にある、
狭い住宅街の道を進みます。
誕生地は静かな場所にあります。
広い場所に出ます。
狭い道を進むと、
道幅が広い場所にでます。
五代友厚の誕生地の、
案内板がある石垣が入口になります。
誕生地の前は道幅が広く、
車を停めるスペースがありました。
石垣には五代友厚誕生地のプレート。
公園になっています。
五代友厚の生誕地は、
現在は公園化されて、
誕生地の碑や案内板があります。
敷地はとても広く、
広場と言った方が良いほどです。
広場にはトイレやベンチがあり、
地元の方の憩いの場所になっています。
誕生地は公園になっています。
大きな碑が建っています。
広場の中程に、
五代友厚の誕生地の碑が建っています。
五代友厚の誕生地の碑です。
五代友厚は、
薩摩藩士ですが、
後に大坂商工会議所をつくります。
そして初代会頭になり、
大坂の商業の発展に貢献して、
「大坂の恩人」と呼ばれました。
そのためにこの石碑は、
大坂の方を向いているのですよ。
下に大阪へのやじるしがありました。
大坂の方角に矢印が向いています。
幼少の頃より世界に目を向ける。
五代友厚は、
12歳の頃から藩校で学ぶ秀才でした。
五代の父・直左衛門は、
薩摩藩主の島津斉彬から、
海外の地図を複写するよう命じられます。
この仕事を14歳になった五代友厚が、
行いました。しかも2枚複写して、
1枚は献上しました。
この地図を複写したんだね。
残る1枚は自宅の壁にはり、
世界に夢をはせたと言われます。
案内板にはその時の地図がありますよ。
五代友厚生誕地の動画
五代友厚の生誕地を動画に撮りました。
こちらからどうぞ。
薩摩藩英国留学生を引率しました。
海外に目を向けていた五代は、
薩摩藩に上申書を提出します。
英国の技術を学ぶ必要性を訴えます。
その上申書により、
薩摩藩は英国に留学生を派遣します。
そして五代は留学生を引率して、
ヨーロッパに渡ります。
欧州諸国を視察しながら、
船舶や紡績機械の輸入に尽力します。
海外との貿易に尽力します。
薩摩藩英国留学生のゆかりの地。
薩摩藩留学生が船出をしたのは、
鹿児島県の串木野市の羽島港です。
当時は海外渡航は禁止でしたので、
秘密裏に出向する必要があったのです。
そこで人里離れた羽島港が選ばれました。
またJR鹿児島中央駅の東口には、
若き薩摩の群像という、
モニュメントがあります。
これは薩摩藩英国留学生達の銅像です。
もちろん留学生を引率した、
五代友厚の銅像もありますよ。
大坂商工会議所をつくりました。
そして前述したように、
大坂商工会議所をつくり、
その初代会頭になります。
鹿児島でも、
初めての商工会議所が作られました。
ドラマ「朝が来た」で有名になった。
鹿児島の偉人の代表の、
西郷隆盛や大久保利通に比べると、
五代友厚は有名ではありません。
それがNHKのドラマ朝が来たで、
ディーンフジオカさんが演じた、
五代友厚で一躍有名になりました。
ディーンフジオカさんの人気で、
五代友厚のゆかりの地を、
今でも訪れる女性ファンがいます。
五代友厚像には女性ファンが訪れます。
五代友厚の誕生地を整備したのは、
ドラマ「朝が来た」の人気が、
後押しをしたともいわれます。
五代友厚の誕生地を紹介しました。
五代友厚の誕生地
鹿児島市長田町31−18
駐車場 駐車スペースあります。
料金 無料です。
〇鹿児島中央駅から車で約10分
〇カゴシマシティービューの、
薩摩義士碑前から徒歩約10分
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