日本遺産の喜入旧麓地区。
日本遺産に認定された旧麓地区です。
この度、鹿児島市喜入町の、
喜入旧麓地区が、
日本遺産に認定されました。
早速、喜入旧麓(もとふもと)地区を、
歩きながら様子を見てきましたので、
どんな場所なのか、紹介しますね。
【投稿日 令和元年9月3日】
日本遺産とは何。
日本遺産とは、
地域にある日本独特の歴史や文化を、
テーマにまとめたものです。
それを文化庁が認定して、
地方の情報発信をして、
広く観光客を呼び込もうとします。
鹿児島には、すでに、
文化遺産や自然遺産がありますが、
これに日本遺産が加わるわけです。
武家屋敷群「麓」を歩く。
日本遺産に認定されたテーマは、
「薩摩の武士が生きた町〜
武家屋敷群「麓」を歩く〜」です。
鹿児島には藩政時代から、
武士達が暮らしていた、
麓(ふもと)が110ありました。
薩摩独特の外城(とじょう)制度で、
麓に配備された武士が、
半農藩士として防備に備えました。
110麓の中で武家屋敷や、
当時の町並みが残っている場所で、
県内の15地区が認定されました。
鹿児島市内は2か所あります。
鹿児島市では、
外城制度の中心になった、
藩主・島津氏の居城の鶴丸城
それに喜入町にある、
喜入旧麓地区の2か所です。
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喜入旧麓地区の場所。
喜入町は、鹿児島の南端です。
日石の石油備蓄基地があり、
大きな石油のタンクが広がっています。
鹿児島市街地からは、
国道226号線を南下すること、
約40分程で着きます。
喜入町内に入ったら、
県道232号線を、
南九州市方面に進みます。
JR指宿枕崎線の、
陸橋を通過したら、
左側の道路を進むと旧麓地区です。
喜入旧麓地区の案内板です。
ふれあい広場の田の神さあ。
旧麓地区に入るとすぐに、
ふれあい広場がみえてきます。
車はここの駐車場に停めました。
広場の入口には、
麓地区の田の神(かん)さあが、
迎えてくれます。
田んぼの神様です。
昔から麓を見守っていたのでしょうね。
ふれあい広場で田の神さあが迎えます。
給黎城の跡。
ふれあい広場の端にあるのは、
給黎(きいれ)城の跡の説明文です。
今はただの山ですが昔は山城でした。
給黎(きいれ)城跡の説明文です。
旧麓はこの山城・給黎城の、
ふもとに出来た場所です。
江戸時代初期まで政治の中心でした。
給黎城(山城)跡の山々です。
戦国時代に、島津氏が、
この城を手に入れたことを祝って、
「給黎」を改めて「喜入」にしました。
水路のある通り。
ここからはしばらく、
通りの脇に水路があり
清らかな水を眺めながら歩きます。
喜入旧麓は、山城の下にできたので、
山からの水が流れています。
湧水が集まってとてもきれいな水です。
通りにはきれいな水が流れます。
所々、水を汲む石があります。
当時の生活を支えていたのでしょう。
この水路で生活する様子や、
麓の武士がこの通りを、
行き交っていたのを、
想像してしまいました。
水路が武士達の生活を支えました。
牧瀬家武家門に歴史を感じます。
水路沿いに武家門が見えてきました。
これは牧瀬(まきせ)家武家門です。
この地域で唯一残っています。
牧瀬家武家門に歴史を感じます。
そのために鹿児島市の、
景観重要建造物に指定されました。
古の武家門って大事ですよね。
牧瀬家武家門は市の景観重要建造物。
武家門の前を流れる、
清らかな湧水を見ると、
武士の歴史を感じられますよ。
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歴史ある石垣がありました。
水路の通りをさらに進むと、
平坦な道から登り坂になります。
ここは、香梅ケ渕や、
肝付家歴代墓地や南方神社への、
分かれ道なのです。
下りと登りの分かれ道です。
そこにあったのは、
とても古くて味のある石垣です。
石の積み方にも違いがあります。
古くて味のある石垣があります。
これも江戸時代からあり、
当時の武士の生活を偲ばせます。
江戸時代の石垣が当時を偲ばせます。
以上、日本遺産に認定された、
喜入旧麓地区の、水路の通り、
牧瀬武家門と江戸時代の石垣を、
歩いて来ました。
喜入旧麓(もとふもと)地区・香梅ケ渕
鹿児島県鹿児島市喜入町9152
JR指宿枕崎線「喜入駅」から徒歩約30分
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