与次郎ヶ浜の碑から坂本龍馬と調所広郷の像がある天保山を散策

与次郎ヶ浜の碑と坂本龍馬の像の天保山

 

 

天保山には坂本龍馬の像もありました。

 

 

今日の鹿児島まち歩きは、
与次郎町の入口から荒田川に沿って、
天保山町周辺を散策しました。

 

与次郎町や天保山町は、
いずれも以前は海だった場所です。

 

時代の違いはありますが、
海を埋め立ててできた場所です。
その埋立てた時の歴史も探ってきました。

 

【投稿日 令和3年9月19日】

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与次郎ヶ浜の碑があります。

 

国道225号線(谷山街道)沿いの、
浜橋北口の信号の交差点が、
与次郎町の入口になります。

 

ここに与次郎ヶ浜の碑が、
建っています。与次郎町は、
もとは与次郎が浜という海岸でした。

 

 

与次郎ヶ浜の碑は浜橋北口信号のそば

 

 

案内に書いてあるのは、
「この付近は以前は海岸で
天保年間(1830〜1844)荒田村百姓の、
平田与次郎が10万uにわたって塩田を
開いたことから与次郎ヶ浜と呼ばれました。

 

 

昔は與次郎ヶ浜という砂浜でした。

 

 

与次郎が浜の歴史

 

与次郎は早くから製塩事業に従事し、
藩命によって赤穂の塩田を視察し、
新しい塩田の開発に取り組みました。

 

解説に書いてあるように、
薩摩藩は製塩業を薦めていました。
他の沿岸にも塩田が広がっていました。

 

藩政時代は与次郎ヶ浜以外でも、
塩造りが盛んで、市内の各地に、
塩造りの神様・塩竈神社があります。

 

塩造りの地に鎮座する塩竈神社

 

その後、戦後には与次郎ヶ浜から、
天保山にかけて砂浜が広がる、
市民が憩う海水浴場となりました。

 

与次郎ヶ浜は埋立てられました。

 

私も幼少期には、
与次郎ヶ浜で遊んだ記憶があります。
国道からすぐに砂浜が広がっていました。

 

そして昭和42年から、
与次郎が浜の埋立てが始まりました。
昭和47年の太陽国体前に完了しました。

 

現在は鴨池陸上競技場や、
ホテルや商業施設などがあり、
観光・レクレーションの拠点になりました。

 

 

与次郎町には大きな米盛病院もできました。

 

 

荒田川に沿って歩きます。

 

与次郎ヶ浜の碑の前には、
荒田川が流れています。

 

荒田川は以前は中州通りから、
荒田八幡神社の前から
与次郎が浜に流れる小さな川でした。

 

 

荒田川が暗渠から顔を出しました。

 

 

荒田八幡神社から与次郎までは、
川に蓋をして暗渠(あんきょ)になって、
与次郎ヶ浜の碑の前から顔を出します。

 

顔を出した荒田川は、
与次郎ヶ浜の碑から天保山公園の、
横を流れ錦江湾へと注ぎます。

 

 

荒田川は埋立てた与次郎を流れます。

 

 

天保山の防波堤跡が残ります。

 

荒田川の堤防は、
左右の造りには違いがあります。

 

河口に向かって右側は、
埋立て地に造られたものですが、
左側はかっての天保山防波堤の跡です。

 

 

左側はかっての天保山防波堤の跡です

 

 

昔の石積みがそのまま残っています。
埋立てる前は、錦江湾の波が、
ここまで打ち寄せていました。

 

 

 

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坂本龍馬新婚の旅碑があります。

 

天保山防波堤をさらに、
錦江湾側に進むと銅像が建っています。
これは坂本龍馬新婚の旅碑です。

 

なんでこんなところに、
坂本龍馬とお竜さんの銅像があるの。
それはここ天保山に上陸したからです。

 

 

坂本龍馬とお竜さんの像があります。

 

 

石積みの防波堤で囲まれた、
天保山のこの界隈の船着き場に、
薩摩の三邦丸で着いたとのことです。

 

三邦丸に乗船していたのは、
薩摩行きを勧めた西郷隆盛や、
家老の小松帯刀(たてわき)らです。

 

 

幕末期の著名人が行き来した天保山

 

 

日本初の新婚旅行でした。

 

鹿児島では小松帯刀邸に宿泊して、
再び天保山から錦江湾を進み、
浜之市(隼人港)から霧島を目指します。

 

二人が宿泊した小松帯刀の、
屋敷跡は今でも残っていますよ。

 

屋敷跡はこちらからどうぞ。

 

薩摩藩の若き家老・小松帯刀の原良別邸

 

霧島ではお竜さんと、
二人で温泉につかりながら、
寺田屋で受けた傷を癒します。

 

坂元龍馬とお竜さんの霧島行きは、
日本初の新婚旅行と云われます。

 

逗留した塩浸温泉にも、
二人の銅像がありますよ。

 

坂本龍馬の日本初の新婚旅行は塩浸温泉

 

 

天保山砲台跡がありました。

 

坂本龍馬新婚の旅碑から、
先に行くと天保山公園の、
松林が見えてきます。

 

その松林の中にあるのが、
天保山砲台跡です。薩英戦争で、
火ぶたを切った砲台の跡です。

 

坂本龍馬もおそらく、
この砲台を見ていたでしょうね。

 

天保山砲台跡はこちらからどうぞ。

 

天保山砲台跡は薩英戦争で砲撃開始をした

 

調所広郷の像があります。

 

砲台跡からさらに進むと、
調所広郷(ずしょひろさと)の、
銅像が松林の中にあります。

 

調所広郷は薩摩藩の家老で、
薩摩藩の財政を立て直し
さらに蓄財までした人物です。

 

調所広郷が天保年間に、
甲突川の砂を使って埋立て、
作ったのがこの天保山なのです。
そのために天保山に像があるのです。

 

 

天保山を作った調所広郷の像です。

 

 

天保山周辺を散策してきました。

 

今日は与次郎ヶ浜の碑から、
荒田川に沿って天保山周辺を、
散策してきました。

 

天保山周辺は、
幕末期の薩摩藩の歴史を、
感じられる場所でしたよ。

 

坂本龍馬新婚の旅碑
鹿児島県鹿児島市天保山町13-15
問合せ 099-216-1327(鹿児島市観光課)
鹿児島地中央駅から車で約15分
JR鹿児島中央駅より市営バス16番線
「共月亭」下車

 

 

 

 

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