平松神社(心岳寺の跡地)で御朱印
平松神社で御朱印を頂きました。
鹿児島の歩き方で訪れたのは、
鹿児島市の海沿いの平松地区にある、
平松(ひらまつ)神社に参拝してきました。
平松神社は元は心岳寺でした。
共に戦国島津家の武将である、
島津歳久(としひさ)公を祀ります。
そんな平松(ひらまつ)神社で、
少し変った御朱印を頂いてきました。
【投稿日 令和3年11月24日】
平松神社の場所
平松神社が鎮座するのは、
錦江湾に滑り落ちるような海沿いの、
急斜面が続く国道10号線沿いです。
国道19号線と日豊本線以外に、
わずかな平地しかない、
場所に平松地区があります。
そこに鎮座するのが平松神社です。
国道10号線の道路脇の、
駐車スペース(6台程)に駐車しました。
平松神社は国道10号線沿いです。
線路の向こうに平松神社の鳥居
国道10号線から一段高い所に、
日豊本線の線路があります。
ここを横切ると鳥居が迎えます。
平松神社の前にある日豊本線
平松神社の鳥居の横には、
ここが以前は心岳寺であった、
史跡の案内板があります。
史跡・心岳寺跡の解説板です
心岳寺は廃仏毀釈で廃寺になり、
その跡地に創建されたのが、
平松神社というわけです。
平松神社は心岳寺跡です
平松神社の境内に着きました。
鳥居から参道の坂道を登ると、
平松神社の境内に着きました。
平松神社の境内です
古そうな造りの拝殿です。
お賽銭箱には島津家の家紋である、
丸に十の字が入っています。
賽銭箱にある島津家の家紋です
手水舎の龍から、
勢いよく流れ出る水で身を清めました。
平松神社の手水舎です
平松神社の拝殿で参拝
平松神社の拝殿で参拝しました。
ご祭神は島津歳久公と、
殉死した27名の家臣達です。
以前この地にあった心岳寺も、
島津歳久公と家臣の菩提寺でした。
平松神社になっても同様に祀られます。
平松神社は島津歳久を祀ります。
平松神社の御利益は勝運ですが、
意外な事に安産の神様でもあります。
それは島津歳久公の最後に関係します。
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島津歳久公のお墓にも参拝
島津歳久公の終焉の地である、
平松神社の社殿の裏には、
島津歳久公と家臣達のお墓があります。
島津歳久公のお墓がありました
島津歳久公は、
島津四兄弟の三男でしたが、
豊臣秀吉に抵抗した武将でした。
天下人の秀吉の命を受けた、
島津軍に追いつめられ
この場所で自害してしまいます。
殉死した家臣のお墓もありました
切腹する時の痛さは出産と、
同じかと妊婦に同情したと云います。
そのことから安産の神様となりました。
心岳寺参りがありました。
島津家は、
この地に心岳寺を建てて、
島津歳久の霊を弔いました。
島津歳久公の辞世の句が刻まれます
やがて心岳寺では、
薩摩の反骨武将の地として、
心岳寺詣りが行われました。
背後の山を降りた心岳寺参りもありました
心岳寺詣りは、江戸時代から、
戦後間もなくまで行われていましたが、
戦いの神ということで廃止されました。
平松神社の御朱印を頂きました。
それでは平松神社の、
御朱印を頂くことにします。
宮司様がいらしゃいましたので、
御朱印帳を預けると、
快くお受け取り頂きました。
平松神社の御朱印は、
神社名が入った御朱印と、
宮司名まで入った御朱印もあります。
宮司様名が入った御朱印って、
とても珍しいですよね、
せっかくなのでこちらにしました。
御朱印料は1,000円を納めました。
平松神社の御朱印を頂きました
島津宮司はフレンドリー
御朱印に書かれた名前は、
島津孝久宮司です。
島津重富家の血を引く方です。
しばらく宮司不在だった平松神社に、
新たに就いた島津宮司は、
社殿や境内の再建に努めます。
それと島津孝久宮司は、
とてもフレンドリーでした。
色々とお話を頂きましたよ。
フレンドリーな島津孝久宮司
平松神社に参拝してきました。
平松神社からは、
錦江湾が良く見えて、
とても気持ちの良い場所でした。
平松神社から錦江湾が見えます
心岳寺から続く、
勝運の御利益がある平松神社で、
御朱印を頂いてきました。
平松神社(心岳寺跡)
鹿児島県鹿児島市吉野町10691
駐車場 有
JR鹿児島中央駅から車で約20分
南国交通バス「平松バス停」から徒歩約5分
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