薩摩義士のお墓は鹿児島市の松原山大中寺。
鹿児島市には
薩摩義士(さつまぎし)のお墓がある
お寺があります。
松原山(しょうげんさん)
大中寺(だいちゅうじ)
と呼ばれる曹洞宗の禅寺です。
街中にある小さなお寺です。
また観光スポットでもありません。
でも薩摩義士のゆかりのお寺なのです。
JR中央駅そばの市街地。
大中寺の場所は、
西千石町の、
市街地の一角にあります。
JR鹿児島中央駅から徒歩10分程、
鹿児島市電の加治屋町電停から、
だと徒歩5分の所です。
境内には数台分の、
駐車スペースもありました。
松原山 大中寺の本堂です。
薩摩義士のお墓の案内板。
大中寺の入口に、
宝暦治水 薩摩義士墓所の、
看板と詳しい案内板があります。
私も地元にいながら、
最近まで気づきませんでした。
「薩摩義士の碑」は観光スポットとして、
訪れる人も多いのですが、
大中寺はあまり知られていません。
薩摩義士のお墓の案内板。
宝暦治水は薩摩藩の治水工事。
薩摩義士とは、
宝暦3年(1753)に岐阜県の木曽川の、
治水工事を行った薩摩藩士のことです。
この治水工事は、
徳川幕府が、
薩摩藩の力をそごうと命令したものです。
1年3か月をかけて完成しましたが、
その間に莫大な費用と、
80名以上の犠牲者を出しました。
多くの藩士が、
過労や幕府への、
抗議の切腹で亡くなりました。
総指揮をとった、
家老・平田靱負(ひらたゆきえ)も、
責任をとって自害しました。
犠牲を払いながらも、
川流域の人々を救った薩摩藩士は、
薩摩義士(さつまぎし)と呼ばれます。
薩摩義士の遺徳をしのびます。
彼らの遺徳をしのび、
建てられたのが、
薩摩義士の碑です。
薩摩義士の碑です。
なお、家老の平田靱負の、
屋敷跡も、
大中寺から歩いて5分程の所にあります。
屋敷跡には平田靱負の像もあります。
屋敷跡では、
平田靱負の命日の5月25日に、
慰霊祭が行われます。
薩摩義士の頌徳(しょうとく)慰霊祭。
大中寺に分骨されました。
お墓には、
鹿児島県薩摩義士顕彰会の、
墓由緒があります。
簡単に言いますと次の様になります。
「犠牲になられた方は、
岐阜・京都などのお寺に葬られました。
その後、この大中寺に、
分骨をお連れするご縁がありました。
お寺に安置され供養されていました。
薩摩義士のお墓に手を合わせました。
平成6年に薩摩藩士の遺徳を、
顕彰し供養するために、
お墓を建立しました。
これからも永遠に、
薩摩義士のご冥福を、
お祈りしていきたいと思います。」
薩摩義士のお墓です。
他の藩の民を救うために、
犠牲になった薩摩義士のことを思うと、
胸に迫るものを感じました。
大中寺には水かけお不動様も。
なお大中寺は、
薩摩義士のお墓だけでなく、
境内には沢山の石像もあります。
古そうな石像が並びます。
また不動明王様の、
由緒書きもあります。
水かけ不動様だったのです。
さっそく、水をかけてお祈りしました。
お不動様に水をかけました。
あなたも鹿児島のまち歩きの途中で、
この大中寺に立ち寄って、
薩摩義士のお墓にお参りしてみませんか。
松原山 大中寺
鹿児島市西千石町6-36
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