薩摩義士の頌徳(しょうとく)慰霊祭。

薩摩義士の頌徳慰霊祭。

 

 

 

今年も薩摩義士(さつまぎし)
頌徳慰霊祭(しょうとくいれいさい)
が行われました。

 

毎年
平田公園
神事や奉納行事があります。

 

私は今回の慰霊祭に
初めて参加しましたので
その様子を紹介したいと思います。

 

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薩摩義士の偉業をたたえます。

 

薩摩義士頌徳慰霊祭とは、
薩摩藩士が行った偉業を、
頌徳(徳をたたえること)する祭りです。

 

今年(平成27年)も5月25日に、
平田公園で行われました。

 

 

薩摩義士頌徳慰霊祭のノボリ。

 

 

薩摩義士とは薩摩藩士のこと。

 

薩摩義士とは、
江戸時代に木曽にある三つの川の、
治水工事を行った薩摩藩士のことです。

 

徳川幕府は、
薩摩藩に、
木曽三川の治水工事を命じます。

 

幕府は薩摩藩を恐れて、
その財力を弱めようとしたのです。

 

 

平田靱負の像の前で行われます。

 

平田公園は、
平田靱負の屋敷跡です。
そこで、慰霊祭が行われます。
平田靱負屋敷跡

 

平田靱負が治水工事を決断。

 

薩摩藩ではこの命令をめぐって、
賛否の意見をめぐって、
藩内が紛糾しました。

 

その時に総奉行の、
平田靱負(ひらたゆきえ)が、
「民に尽くすもまた武士の本文」と、
藩士を説得して工事を決断したのです。

 

 

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木曽川の治水工事は難工事。

 

木曽川の治水は、
想像を絶する難工事でした。

 

工事は、1年3ヶ月ほどで、
ようやく完成しました。

 

平田靱負は藩に多大な負担を、
かけたことに責任をとって自害したのです。

 

平田靱負達の分骨されたお墓は、
平田公園の近くの、
松原山 大中寺にあります。
松原山 大中寺

 

薩摩義士慰霊祭は命日に。

 

慰霊祭は、
平田靱負の命日の5月25日に、
平田公園で行われます。

 

慰霊祭には、
鹿児島県以外に、
岐阜県からも関係者が出席します。

 

 

岐阜県からも多くの方が出席されます。

 

 

鹿児島県薩摩義士顕彰会
(けんしょうかい)
の方や、
薩摩義士の遺族の方など、
多数が出席されて盛大に行われました。

 

会では、まず詩吟が、
奉納された後に、
おごそかに神事がおこなわれました。

 

 

慰霊祭では神事が行われます。

 

 

神事の後では、
鹿児島県と岐阜県、
それと関係者の言葉をいただきました。

 

 

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子供達の作文に感動しました。

 

さらにその後に、
作文コンクールの、
表彰式が行われました。

 

受賞した小学生と、
中学生が作文を発表しました。

 

薩摩義士の偉業は、
学校教育でも取り上げられています。

 

 

薩摩義士の作文に感動。

 

私も子供の頃に初めて、
薩摩義士の話を、
聞いたときの事を思い出しました。

 

その頃の私は、
なぜ知らない土地で、
そんな難儀なことをしたのだろうと、
思っていましたけど。

 

子供達の教育に役立っています。

 

作文を読んでいる子供たちは、
薩摩義士の偉業を、
理解しているようでした。

 

子供たちの教育に、
役立っていると思うと、
薩摩義士の方々も喜んでいるでしょう。

 

最後に薩摩の、
示現流が奉納されました。

 

示現流(じげんりゅう)は、
薩摩に伝わる剣術です。

 

「キエーイ」という奇声とともに、
木の棒を打ち下ろします。

 

 

薩摩の示現流が奉納されました。

 

鹿児島と岐阜の友好。

 

このようにして、
薩摩義士の頌徳慰霊祭は、
無事に終了しました。

 

薩摩義士の偉業は、
260年経った今でも、
鹿児島と岐阜県との友好
さらに深めています。

 

薩摩義士の碑は、
鶴丸城のそばにあります。
薩摩義士の碑

 

平田公園(平田靱負屋敷跡)
鹿児島市平之町6

 

 

 

 

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