西郷隆盛の武屋敷跡には井戸が残る。

西郷隆盛の武屋敷跡。

 

 

 

JR鹿児島中央駅周辺にある、
史跡の一つに、
西郷隆盛の屋敷跡群があります。

 

現在は、
屋敷跡の碑があり
公園になっています。

 

いつくかある西郷屋敷の内から、
ここでは武(たけ)屋敷跡
紹介しますね。

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屋敷の周りは畑が広がっていました。

 

昔は、ここら一帯は、
武村と呼ばれていました。
当時の田園風景が想像されます。

 

現在は、住宅や隣りに、
幼稚園が建つ市街地に変わっています。
その一角に屋敷跡が残っています。

 

ここの屋敷で、西郷さんが征韓論で破れ、
鹿児島に下野した時から、
西南戦争が起こるまでの、
4年間を過ごしました。

 

 

西郷屋敷跡は公園になっています。

 

 

屋敷には大きな松の木がありました。

 

屋敷の敷地は千坪程あり、
部屋数の多い建物と、
西郷さん自ら耕した畑があったそうです。

 

また庭には大きな松の木があり、
屋敷のシンボルであったそうです。

 

 

案内板には屋敷の木があります。

 

 

現在は、屋敷や松の木はありませんが、
当時使われていた、
井戸が残っています。

 

 

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西郷さんが使った井戸。

 

この井戸は、おそらく西郷さんが、
毎日の洗顔や畑の水やりに、
この井戸を使っていたと思われます。

 

私も井戸の淵に立ってみましたが、
あの西郷さんと、
同じ場所を共有できたことに、
なんだか感動に近いものを覚えました。

 

 

西郷さんが使っていたなんて、感動。

 

 

屋敷では晴耕雨読の暮らし。

 

ここでの暮らしは、
書を読み畑を耕す、
まさに晴耕雨読だったようです。

 

また気が向けば、
好きな狩猟温泉に行っていたようです。

 

この時の西郷さんの訪れた足跡が、
県内各地には、多く残っています。

 

 

屋敷で暮らした日々は楽しかった。

 

 

また、士族の青少年育成のために、
私学校を創り、
青少年の教育にもあたっていました。

 

吉野の山に開墾地を作り、
私学校の生徒達と一緒になって、
畑を耕していたのです。

 

やがて、私学校の生徒の暴走で、
西南戦争が起こるのです。

 

 

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徳の交わりの像が建てられました。

 

また、西郷さんは、
人々に慕われていました。

 

教えを乞うためや親交を深めるために、
この屋敷を訪れる人も、
多かったといわれています。

 

庄内藩の、
菅実秀(すげ・さねひで)も、
その一人です。

 

二人が会見した様子を、
再現した像が、
屋敷跡に造られています。

 

 

「徳の交わり」と命名された像です。

 

 

教えは、南洲翁遺訓になりました。

 

 

庄内藩は、戊辰戦争で官軍と敵対しますが、
敗戦後の処理を決める際に、
西郷さんの寛大な、
はからいで藩が救われました。

 

菅実秀(すげ・さねひで)は、
このことに敬服して、
西郷さんの教えを学びます。

 

それをまとめたものを西南戦争の後に、
南洲翁遺訓」として刊行するのです。

 

 

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西郷さんに同情してしまいました。

 

西郷さんは、名誉や権威などに、
興味を示さなかったといわれます。

 

そんな西郷さんには、
この屋敷で過ごした4年間は、
生涯の中で一番楽しい日々でした。

 

でも時代は、御存じのように、
西郷さんを放っておかなかったのです。

 

明治維新という、
大事業を成し遂げたのだから、
この屋敷での暮らしを続けてほしかった。

 

西郷さんに同情していまいました。

 

 

郷土の誇り、西郷さん。

 

 

西郷さんの過ごした日々を感じます。

 

あなたも鹿児島まち歩きで、
鹿児島中央駅周辺に寄られたら、
この西郷隆盛武屋敷跡を訪ねてみませんか。

 

また西郷さんが、
住んだ屋敷は他にもあります。

 

そちらも鹿児島中央駅周辺ですので、
立ち寄られてみてはいかがですか。

 

西郷隆盛武屋敷跡
鹿児島市武2
鹿児島中央駅西口より徒歩10分

 

鹿児島市内にある
西郷どんのゆかりの地を
色々と紹介しています。

 

西郷隆盛どんの足跡を訪ねる。

 

合わせて、
行ってみて下さいね。

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