西郷どん(西郷隆盛)の洞窟は西南戦争の最後の地。

洞窟は西南戦争の最後の地。

 

鹿児島市の中心地には、
小高い山の城山があります。

 

城山は古来より、
鹿児島に深く関わってきました。

 

中世の頃より地元の豪族や、
その後に長く統治した、
島津氏の城などがありました。

 

その後には西郷隆盛の最後
場所として知られています。

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城山の西郷隆盛の洞窟。

 

でも何といっても西南戦争の、
激戦の地になったことが、
城山の歴史の中でも最も大きな出来事でしょう。

 

そのために城山には、
西南戦争の足跡がいくつか残っています。

 

その一つに、
西郷隆盛の洞窟があります。

 

 

城山には西郷さんの洞窟があります。

 

 

城山は西南戦争の決戦の地でした。

 

西南戦争は、
士族達による、
新政府への武力反乱です。

 

鹿児島ばかりでなく、
宮崎・熊本・大分の、
士族たちも集結しました。

 

西郷隆盛を総大将とした、
薩摩軍と政府軍との、
国内の最後で最大の内戦でした。

 

鹿児島にとっては、
友人や兄弟が互いに争った、
最大の悲劇となりました。

 

その最後の決戦の地が、
この城山だったのです。

 

 

西郷さんの洞窟は観光スポットでもあります。

 

 

西郷さんの洞窟は、城山への途中。

 

洞窟は、城山の登り口の、
岩崎谷から城山へ登っていくと、
道路の右側にあります。

 

道路をはさんだ所に、
洞窟見学者のための、
駐車場があります。

 

 

駐車場(無料)も用意されています。

 

 

また、市内の観光巡回バス、
カゴシマシティビューの停留所もありますよ。

 

西郷さんに関するものでは、
西郷隆盛の銅像の次に、
訪れる方が多い観光スポットになっています。

 

 

 

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最後をこの洞窟で過ごしました。

 

洞窟の横には、説明文があります。
それによると9月24日の、
午前4時に政府軍の総攻撃が始まります。

 

政府軍の数は4万人ともいわれ、
それに対して薩摩軍の、
兵士はわずか300人程でした。

 

死を決した西郷さんは、
幹部とともに岩崎谷に向かって、
城山を駆け下りたのです。

 

その後、西郷さんも弾を受けて、
別府伸介の介錯(かいしゃく)で、
49歳の生涯を閉じました。

 

明治維新を成し遂げるために、
尽力した西郷さんが、
自分が育てあげた政府と、
戦うことになった西南戦争。

 

戦争終結の最後の5日間を、
過ごしたのが、この洞窟なのです。

 

 

この洞窟で最後を過ごしました。

 

 

洞窟前で西郷さんに思いをはせる。

 

西南戦争は、
近代日本に生まれ変わる、
産みの苦しみと言われることもあります。

 

でもそれにしても、
鹿児島にとっては、
あまりにも大きな犠牲を払いました。

 

この洞窟で西郷さんが、
何を考えていたか知る由もありません。

 

目の前に実在する洞窟を見ると、
何か感慨深いものが、
沸き起こってくるのです。

 

 

城山の地で西郷さんに思いをはせるのです。

 

あなたもこの洞窟の前に立ち、
そんな西郷さんに思いをはせてみませんか。

 

なお鹿児島市以外の、
西郷隆盛のゆかりの地はこちらから ↓

鹿児島県内の西郷隆盛のゆかりの地

 

西郷隆盛が良く泊まった大隅半島根占の家

 

西郷隆盛洞窟
鹿児島市城山町19

 

 

 

 

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